No.10 2004年1月上旬号 (1月3日発行) 写真はクリックで拡大 | |||||||||
謹 賀 新 年 新年明けましておめでとうございます。 2004年の始まりです。私にとっては林住期二年目です。 今年の半農生活は、 稲作(田二枚20aにコシヒカリをつくる) 野菜作(畑1aに野菜つくり) 竹炭焼き を予定しています。 (ちなみに、1aは30坪) 半X生活は、 関西花の寺めぐりを満願する(あと3寺) 10日に一冊の本を読む 画像処理ソフトを導入する 三和町内の穴場訪問と紹介 を予定しています。 イラク戦争、北朝鮮問題、年金問題など難問山積の年明けです。 どうか平和な1年でありますように祈ります。 |
|||||||||
旅 | 本 | ||||||||
2004年初詣
今年は二箇所のお宮さんへ 初詣した。 きっといいことがあるだろう。 |
私本太平記(第3巻)
笠置の後醍醐天皇からの 勅命により、 楠木正成は重い腰を持ち上げた。 しかし、後醍醐は笠置落ちし、とらえられた。 また、五百人の楠木正成一族が 立てこもる赤坂城は、 幕府方二万の大軍に取り囲まれる。 ついに、笠置全滅後二十三日目に 赤坂城は落ちた。 世上には、 「河内の正成は砦の火のしたに、 自害して果てた」と信じられた。 そして後醍醐天皇は ついに隠岐ノ島へ配流となる。 この幽閉の後醍醐に近づいたのが ばさら大名・佐々木道譽である。 都京都ではこの年、元弘二年四月二十八日、 幕府が立てた新帝、持明院統、光厳帝の 即位をもって、年号も正慶と改元された。 著者は書く。 「隠岐の後醍醐も『退位する』とは決して 仰せ出ないことである。 宮方の者は今度の改元を無視して いぜん元の”元弘二年”を 通していった。 茲に、一土の民に二つの年号があるという 畸形な世紀をこの国は以後六十年も 見る端緒となった」 そのころ、天王寺で楠木正成が再び立った。 |
||||||||
IT関連 | 小さな農業 | ||||||||
ADSL 昨年8月に、NTTのフレッツADSLを導入した。 1.5MbpsのADSLであるが、 実力1.2Mbps程度のスピードが出ており ほぼ満足している。 つい先日までのダイヤルアップ50kbpsの 世界とは、月とスッポンである。 写真はNTT製の Web Caster FT6000MS形ルーター。 無線LANアクセスポイントを 内臓しており、我が家2Fのパソコンとも 無線接続ができ、重宝している。 技術の進歩に驚かされる。 |
農機具庫完成 建設中であった農機具保管庫がほぼ完成した。 一人で百種の仕事ができて、 はじめて百姓と呼ぶとのこと。 百種の仕事をこなすのには、 それなりの道具が必要である。 小さな生活(半農)にも 結構、準備が大変だ。 トラクターの実技も習った、 中古のトラクターも買った (もうすぐ納入される)、 田んぼもある。 あとは実践のみ。 (周囲では、口ばかりとの批評あり) |
||||||||
編集後記 | |||||||||
新年にあたり、ページデザインを 少し変えました。気分一新です。 農機具庫がほぼ完成しました。 トラクターがまもなく納入されます。 半農も忙しくなりそうです。 本年もよろしくお願いいたします。 |
No.11 2004年1月中旬号 (1月14日発行) 写真はクリックで拡大 | |||||||||||||||||
三輪明神大神神社へ新春初詣 1月13日 奈良県桜井市の三輪明神大神神社へ新春初詣をしてきました。 恒例の京都三和大神講に参加したものですが、私にははじめての参拝でした。 大神神社(おおみわじんじゃ)は、日本のまほろばと称えられる大和の東南に位置する 三輪山をご神体として、大物主神(おおものぬしのかみ)を祀り、国造りの神様、 人間生活の守護神として尊崇されています。 (詳細は大神神社のホームページを参照ください) 今年1年、大神さまの御神徳と御加護を受けて平穏な1年でありますように 祈念いたしました。 初詣記念に、新春招福の干支、甲申(きのえさる)のお守り(上の写真)をいただきました。
|
|||||||||||||||||
竹炭焼き(2) | 本 | ||||||||||||||||
竹炭焼き準備 今年の半農計画の一つが 竹炭焼きである。 先生は、 農文協発行の 『竹炭−竹酢液の作り方と使い方』(写真左) と ホームページ 『杜の哲人』『たけのこ』である。 先生によれば、 竹は伐採後1.5ケ月の乾燥が必要とのこと。 第一ステップは竹の伐採である。 写真右は、家の後の伐採予定の 竹やぶである。 |
私本太平記(第4巻)
隠岐の島へ配流となった後醍醐天皇は、 宮方の海賊、阿波の岩松党の手引きで、 隠岐の島を脱出された。 後醍醐天皇が大山の船上山に着座のころ、 不死鳥の如き楠木正成は、一千の兵で、 天嶮の千早城に立て篭もり、五万の幕府軍を 金縛りに悩ましていた。 そのころ、幕府の第四次召集令が発せられ、 鎌倉に在住の足利高氏にも とうとう出陣命令が発せられた。 高氏はこの命令を拒むすべもなく、 妻、子供二人を幕府執権北条高時に 人質として差し出して出陣した。 高氏の祖父家時公が残した 謎の置文(天下取り)を胸に秘め 京へ登る高氏は、途中の矢作で、 一族四千騎に対し、 彼の大望の本心をうちあけた。 、 |
||||||||||||||||
IT関連 | 編集後記 | ||||||||||||||||
デジカメ デジカメはFinePix1700Z (FIJIFILM製、1.5M画素、3倍ZOOM) が第一号機であり、 現在も使用中である。 そろそろ一眼レフがほしくなってきた。 ところでこの写真を撮るのに ハタと困った。 このカメラでこのカメラ自身は撮れない からである。 この写真は、携帯電話での iショット撮影である。 (携帯電話はDoCoMo D251iS 288×352ドットのiショットLで撮影) さすがにアップは苦しい。 |
今年三ヶ所目の初詣は、 観光バス6台を連ねたものでした。 バスの中や途中では久しぶりに 出会う人との交流ができた場でもありました。 いよいよ竹炭焼きをスタートしました。 今後順次アップしていきます。 実際の火入れは3月ごろの予定。 そろそろ春野菜の準備が必要です。 まずはジャガイモを植える畑の 準備をしようと思っています。 携帯電話ではじめてiショット しました。 (今まではあまり使ったことなかった) 携帯電話の写真でも 何とか使えることがわかりました。 (目からウロコ) もっと面白い使い方がないかな〜。 |
No.12 2004年1月下旬号 (1月24日発行) 写真はクリックで拡大 | ||||||
竹炭焼き(3) −竹の伐採−
|
||||||
小さな農業 | 本 | |||||
トラクター 昨年末に購入していた トラクターが納品された。 中古とはいえ、頼りになりそうである。 さっそく家の周辺で試乗してみた。 昨年の農業機械士講習が役にたって、 無事に動いた。 田んぼで耕運してみたいが、 このところ天候が悪く、田はやわらかすぎる。 あせらずに待とう。 トラクターの緒元 機種:TU155F(イセキ) 駆動方式:四輪駆動 出力:15.5PS/2500rpm 総排気量:900cc 重量:665kg ロータリー:耕うん幅1200mm |
私本太平記(第5巻)
京に上った足利高氏は、 丹波篠村の大江山でついに、 幕府打倒の旗上げをした。 幕府の要所六波羅が落ち、 二十歳の光厳帝をはじめ、 御父の後伏見法皇らも落ちていかれた。 尊氏の打ち上げたのろしは、 まさに万雷の轟となった。 六波羅が落ちたのに同期して、 楠木正成が篭城する千早城では、 篭城百七十日で、 幕府軍の撤退がはじまった。 幕府の執権、北条高時の住む鎌倉においても、 尊氏のライバル、新田義貞が兵をあげた。 ここに、石垣の崩れるごとく、 鎌倉幕府は百五十年の幕を閉じた。。 |
|||||
旅 | 編集後記 | |||||
門戸厄神(松泰山 東光寺) 今年は、家内と娘の厄年とのことで、 1月17日、 厄除け祈願に西宮の門戸厄神さんへ出かけた。 東光寺には、 弘法大師自ら白壇木に刻まれた 厄神明王が祀られているという。 1月18.19日は 厄除大祭とのことで、 参道は露店の準備で大忙しであった。 |
早いもので1月も、もう下旬となった。 いつも家にいるせいか、 この冬はよく雪が降るような気がする。 半農も天気に左右され、 なかなか思うようにはいかない。 1月23日、恒例の会社OB会の ゴルフコンペであった。 一日中氷点下で池も川も凍っていたが、 日本で有数のゴルフ場とのことで 気持ちの良い一日であった。 竹炭焼きの竹の伐採をはじめた。 ドラムカンで焼こうと思っている。 ドラムカン、エントツ、温度計等を準備中だ。 念願のトラクターが納車された。 今年、稲作する田んぼの 荒耕をしようと思っている。 うまく出来ることか?。 |