No.13 2004年2月上旬号 (2月3日発行)     写真はクリックで拡大

竹炭焼き(4)  −竹の裁断と乾燥−

写真1

このところ毎日、朝は霜が降りて寒い日が続いている。
天気の良い日に、竹の裁断と竹割りをしている。
『竹を割ったような気質』という言葉があるが、
竹割りをしていると、本当にスカッーとした気持ちになる。


写真1は、伐採した竹を長さ40cmに裁断したところ。
40cmは、ドラムカン(長さ約90cm)に二列に入れる事から決まる。

写真2は、裁断時に使ったチエンソー

リョービ製、2サイクルガソリンエンジン式、33cc。
チエンソーの取り扱いには、安全上細心の注意が必要である。

写真3は、竹を割り節をとったところ。
竹の太さにより、2〜8分割する。(幅2〜4cm)


写真4は、分割した竹を乾燥中。
竹の含水率を35%程度とするため、屋内で1.5ケ月程度の
乾燥が必要である

乾燥が不十分だと炭化しにくく、燃料が大量に必要で、
乾かしすぎると炭化が速すぎて炭の質が落ちるとの事である。

(含水率15〜20%が良く、6ケ月乾燥が必要との資料もある)

次はドラムカン製の窯の作成だ。

写真2
写真3
写真4

小さな農業

農村の高齢化

少子高齢化は大きな社会問題であるが、
とりわけ中山間地農村にとっては深刻である。
かって、三ちゃん
(母ちゃん、じいちゃん、ばあちゃん)

によって支えられてきた農業も、
いまでは三ちゃんの高齢化によって、
農業の存続が危なくなってきている。
すでに田や畑の耕作が困難となり、
荒廃化しつつあるところが目につくようになった。

2月1日
恒例の当地区自治会総会が開催され、
その行事として、近隣の綾部市が実施されている
里山ねっと・あやべ』の活動紹介があった。

この地区と同様に、高齢化、過疎化に悩む
農村と自然に飢える都市が、
豊かな自然と美しい里山風景を活用した
交流活動を行っている話を聞くことができた。

講師(綾部市職員)の方の話も上手で、
活動の一つ一つが感動的であった。

中山間地域の今後の活性化に、
大いに参考となる講演であった。

当地区においても
真剣に考えるべき時に来ているように思う。


私本太平記(第6巻)

私本太平記
(全八巻中第6巻)
吉川英治著
講談社発行

150年続いたの鎌倉幕府が亡んだあとは、
後醍醐天皇の建武の親政が始まった。

鎌倉の幕府を攻めた
新田義貞
恩賞にあやかろうと上京し、
京の幕府(六波羅)を落とした足利高氏は、
恩賞として後醍醐帝の名前(尊治)の
一字をもらって
尊氏となった。

しかし、戦後の平穏は長くは続かないのが
世の常である。

ここに、
後醍醐天皇大塔の宮(皇子)、
新田義貞楠木正成足利尊氏
複雑に絡んだ戦乱が再び始まった。

大塔の宮を倒した足利尊氏も、
ついに京を追われる身となって
兵庫の港から、筑紫(九州)へ
落ちていく事となる。

編集後記 と What’s New

福知山温泉


1月31日
昨年の農業機械士養成研修の受講者が
福知山温泉に集まり、同窓会が開催された。
21名中16名の参加があり、
楽しい出会いであった。

仕事は違い、環境も異なるメンバーであるため、
サラリーマン時代には経験できない
有意義な情報交換の場であった。
また次回の集まりを約した。

福知山温泉は、
昔、福知山藩主・朽木綱貞候が
老を養い、病を癒す霊泉水が湧くところ
として養老水と命名したところにある。
さびた庭、勇壮な門構え等、期待に反しない
ところであった。

舞鶴若狭道の福知山ICから約5分。


早いもので、今年も1ケ月が過ぎました。
今年の2月はうるう年であるので
1日得をした気持ちです。

このホームページにも
掲示板を開設しました
定年退職、半農、半X、趣味、ふるさと
等についての体験、ご意見、
また、このホームページへのご感想等
気軽に書き込んでいただければ幸いです。

メニュを更新し、
バックナンバー記事ごとの
メニュー
を作成しました。

里山ネット・綾部のホームページを見ていたら、
このホームページの特集(棚田のハス園)で
紹介した井上晴政さんのことが
記載されていました。
棚田のハス園の井上さんからリンクしました。



No.14 2004年2月中旬号 (2月12日発行)     写真はクリックで拡大

就農準備講座(3)  −講座修了−


2月8日
わが町三和町産業振興課主催の就農準備講座の
最終講座が開催され参加した。
最終講座は、『
春野菜のつくり方』であった。(写真上)
瓜類(きゅうり、すいか、うり、かぼちゃ)と
果菜類(なす、トマト、ピーマン)について、
地ごしらえから、元肥、整枝、人口受粉、追肥、収穫
までの講座であった。

植物も生き物である。それぞれ特長ある生態を
持っているためなかなか難しそうである。

昨年5月の開校式から、今回の第6回まで、
15人が受講し無事修了することができた。

とにかく種や苗を植える事から始めよう。

2月6日の地元新聞(両丹日日新聞)に、
この三和町就農準備講座が写真入で紹介された。
(写真左、後列の左から2人がK’Chan)


小さな農業

農業法人化推進研修


中山間地域における今後の農業は、
農業を取巻く環境の変化に(高齢化による
担い手不足等)よって、
深刻な状況になりつつある。

今後農村の活性化には、設備の大型化等
による
近代農業経営への転換が必要である。

2月12日
京都府農業会議とJA京都中央会の主催で、
農業法人化推進研修会が実施され出席した。
従来の個人事業を法人化へ転換するための
研修であった。

法人化を実施されたところの事例報告や
法人化と税務についての講演があり、
京都府下から100人余りの参加であった。

中山間地の環境保全や活性化を考えると、
小さな農業のみへの参画だけでは許されない
状況となってきつつある。



私本太平記(第7巻)

私本太平記
(全八巻中第7巻)
吉川英治著
講談社発行

筑紫(北九州)へ落ちた足利尊氏は、
ここで勢力を養うと共に、かってから一目をおく
河内の宮方、
楠木正成に礼儀を尽くして
同盟を要請するが、敢然たる言で拒否された。

『正成は
武人です。また、笠置へ伺候して
このかたは、身も心も今上の御一方に
誓いまいらせた一朝臣、左様、江口の
遊女のように、
世を浮き舟と渡るすべは
よう存じておらぬ』 と・・・・。

尊氏は瀬戸内の海上から、弟
直義は山陽道を
陸上から、数万の大軍の東上が始まった。

すでに死を覚悟した正成は、
後醍醐天皇へ最後の別れを述べて、
一千の兵を引いて、
新田義貞に合流すべく西へ発った。

尊氏の乗る数千艘の船団は、
いよいよ、兵庫生田から御影の浜へ、
そして和田の岬から上陸を開始した。

編集後記 と What’s New

観音寺大護摩大祭


冬の花・ロウバイが香る2月11日、
関西花の寺25ケ所の第一番、補陀洛山
観音寺へ、大護摩大祭のお参りをした。

大護摩大祭は真言宗の僧13人と
丹波神和会の山伏25人によって
執り行われ、般若心経が唱えられる中、
護摩木に書かれた願い事を1本ずつ読み
炎の上がる護摩壇へ次々と投げ入れられた。
一年間の無病息災、家内安全、厄除開運等を
祈願する一万人の参拝客でにぎわった。

この日にお参りすると、
霊佛十一面千手千眼観世音菩薩さまの
霊力によって、一年間健康で
小遣い銭
不自由しないといわれている。


少子高齢化の波をもろに受け、
過疎化が進む中山間地では、
今後の地域活性化対策が緊急の課題です。
農業の法人化もその有効な対策のようです。
しかし、そう簡単ではなさそうです。
地域の改革が必要です。

最近のホームページで、
Blog
(Web−Logとかブログという)と呼ばれる
スタイルが増えています。
面白そうな気がして、さっそく、申込みし、
開設しました。
(トップページのメニューに追加しました)
現在、その使い方を試行錯誤中です。
おもしろい活用方法を考えたいものです。



No.15 2004年2月下旬号 (2月23日発行)     写真はクリックで拡大

詩吟


詩吟を習うこととした。
この60年間を振り返っても、文芸的なことで習い事をしたのはこれが初めてある。
腹の底から発声することで健康に結びつくと聞いたことがきっかけであった。

入会させていただいたのは、
吟道大雅流頌風館である。

吟の道のマニュアル(写真)によれば、吟詠について次ぎのように書かれている。

『吟詠で第一に心がけねばならないことは、詩の意味を十分知り、詩の心を読み取ることある。
その詩の心を自分の感情に移しとり、それを節まわしや、声の強弱等で表現することである。
ひとつの詩や歌は、作者の生涯をかけた体験の中から生み出した感激の結晶であり、
万感の情を織り込んだものである。
そこでこれを自己の感情の中からほとばしる旋律によって発声するところに、
吟詠というものが起こるのである。
作者の意がよく表現され、それを聞く人たちの心に伝えるところに、
詩歌の吟詠が生じてくるのである。
だから吟者は、その詩中の人となることが根本である。
詩意をいかにして表現させるか、その要素として気はくと気品が必要である』と。。。。

初めての吟題は田中雅風先生作、『
三和郷を詠ず』である。

連山雲靉三和郷(れんざん、雲はたなびく、三和のさと)

恰恰聴閖俗界忘
(こうごうしじまに聴いて、俗界忘る)

清冽砕岩琴瀬水
(せいれつ岩をくだく、琴ケ瀬の水)

春秋冬夏吟情芳
(しゅんじゅうとうか、ぎんじょうかぐわし)

小さな農業

トラクター耕運


このところの朝は霜が降りて
厳しい寒さであるが、
日中は10℃を超えるような良い天気が
続いている。
20日などは、日中の気温が20℃にもなった。

今年は2枚の田(約20a)で水稲を作ろうと
思っている。
それに先立ち、土つくりのための施肥と
耕運を行った。


昨年の暮れに買ったトラクターの
実圃場での初耕運であった。

圃場の中央部分の耕運はやさしいが、
トラクターの転回部分となる角部は、
なかなかうまく平坦に耕運するのが難しい。

写真は耕運後の圃場(14a)


私本太平記(終巻)

私本太平記
(全八巻中第8巻)
吉川英治著
講談社発行

『私本太平記第8巻終巻』は、
神戸の和田の岬に上陸した足利尊氏を迎える、
楠木正成との
湊川の戦いから始まる。
さすがの楠木正成も足利軍に制圧され、
ついに、かやぶき屋根の一宇の堂の中で
弟正季以下一族51名の自決となった。
次ぎの様な最後の言葉を残して。

『正季、また一同も、天地へ祈れっ。
みかどのおわす都の空へもそれを祈ろう。
ひとつ同腹、あらそいなき世を造らせ給え。
ふたたびこの国の山野にあえなき無数の
白骨を哭かしめ給うことなかれと』

吉野の南朝後醍醐を倒し、京都の北朝
奉る室町幕府をつくった足利尊氏は、
その後も、
南朝側の抵抗に加え直義の反逆、
直冬の反乱によって平穏な世は訪れない。

足利尊氏は、第二代将軍義詮の見守る中に
54歳の生涯を閉じた。

その後も南北朝とよばれる
畸形な国家
続いていく。

編集後記とWhat's New

綾部 厄除神社


2月18日
今年は家内と娘の厄年とのことで、
近く(綾部市)の厄除け神社にお参りした。
厄除神社は、
すぐ隣の若宮神社の境内にあり、
御祭神は
猿田彦神である。

猿田彦神は、天孫瓊々杵尊が
高天原から日向の高千穂の峰に
御降臨の際、道案内にたち、
種々の厄を払い除き、
尊を安全に日向の国に御導き申し上げたとの
古事から、『厄除』の神として尊崇厚い。



詩吟というものを始めました。
小学校のころ、音楽に熱心な先生がおられて、
たて笛をひいたことがあります。
その後も音符は読めません。
しかし、ハーモニカだけはカンでふけました。
長く続くか心配です。

竹炭焼きの窯(ドラムカン)の図面を書いて
近くの鉄工所で加工してもらっています。
初窯は3月下旬ごろになると思います。

3月には、ジャガイモとホウレンソウの
植付けを予定しています。
今、植付けに先だち、猪対策用に
電気柵を施工中です。

今年度
芥川賞で、今話題になっている小説
『蛇にピアス』と『蹴りたい背中』を読みました。
今の若者の世界にこのようなことが
あるかと思うと、複雑です。
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