No.19 2004年4月上旬号 (4月3日発行) 写真はクリックで拡大 | |||
竹炭焼き(8) −窯出し− 3月23日7:00時に火入れし、窯止めができたのは24:00時だった。 24日の朝は、まだ窯の表面が暖かかったので、25日に窯出しをした。 |
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小さな農業 | 本 | ||
今年の稲作 今年は3枚の田、36アール(3反6畝)の 稲作を計画している。 5〜6年前に稲作をした事があるが、 当時は、耕してもらい、植えてもらって ほとんど水の管理だけの稲作であった。 今年からは自分で耕して、植えるつもりだ。 (刈り取りはやってもらう) 写真はこれらの水田の耕運状況である。 写真左 奥が12アール(耕運済) 手前が11アール(耕運中) この水田は川の水を利用しているため 干ばつの心配はない。 写真右 13アール(耕運済) この水田は、谷川の水を利用しているため 干ばつの心配がある。 水稲苗は5月16日〜17日頃に 配布予定である。 この耕運のあと、水張りと 水田での耕運、代かき、田植えと続く。 4月、5月は忙しい。 |
坂の上の雲(第3巻) 病床の床に居ながら俳句界の改革を 成し遂げた正岡子規は、明治35年9月 日露戦争の足音を聞きつつ35年の 生涯をとじた。 満州と朝鮮をめぐるロシアとの外交交渉は 決裂し、ついに明治37年2月10日 宣戦布告を行った。 司馬遼太郎はいう。 『しいてこの戦争の戦争責任を決めると すれば、ロシアが八分、日本が二部である。 そのロシアの八分のうちほとんどは ニコライ二世がおわなければならない』と。 いよいよ連合艦隊の旅順艦隊への攻撃と 陸軍の満州遼東半島への上陸が 始まった。 司馬遼太郎によって、日露戦争を通じての 明治の英雄、天才達の人間像が 巧みに描かれていく。 枢密院議長:伊藤博文 首相:桂太郎 外務大臣:小村寿太郎 海軍大臣:山本権兵衛 満州軍参謀本部総長:大山巌 満州軍参謀本部次長:児玉源太郎 騎兵旅団長:秋山好古 連合艦隊指令長官:東郷平八郎 第一艦隊参謀:秋山真之 ロシア皇帝:ニコライ二世 ロシア出征軍司令官:クロパトキン |
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小さな旅 | 編集後記とWhat's New | ||
七谷川堤の桜 今年の桜は、3月29〜30日に、 一気に咲いたように感じられる。 インターネットで桜の名所を探し、4月1日、 亀岡の七谷川沿いの花見に出かけた。 和らぎの道(桜公園)といわれるだけに、 七谷川沿い2,000m両岸の1500本と いわれる桜は、 丹波地方随一といわれるだけに 見事であった。 京都縦貫道千代川ICから15分。 |
第1回目の竹炭焼きが終了しました。 13kgの竹炭と、3.4Lの竹酢液が 採集できました。 初めてとしては成功と自賛しています。 この竹炭焼きに際し、窯止めのタイミングや 温度などについて、mamoru-yさん (mamoru-yさんのホームページはこちら) にいろいろアドバイスをいただきました。 ありがとうございました。 インターネットのおかげです。 火入れから窯止めまで、17時間かかり、 窯止めは午前0時の真夜中でした。 次回はもっと早く焼く方法にアタックします。 この地方の桜は、今が満開で、そろそろ 散りかける気配です。 今年の桜はひときわ美しかったような 気がしました。 |
No.20 2004年4月中旬号 (4月13日発行) 写真はクリックで拡大 | ||||||
小さな旅 2004年 桜 京都丹波地方の今年の桜は、3月30日の一晩で一気に咲いたような気がする。 例年より一週間程早かったのではないでしょうか。 桜を求めてあちこち小さな旅をしました。
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小さな農業 | 本 | |||||
家庭菜園 家庭菜園にもそろそろ芽が出てきた。 それにしても、この菜園には石が多い。 (斜面を平にするために削った時に 出てきた石) 石拾いをせんといかんみたいだ。 写真左 3月15日に植えたジャガイモも 芽を出しかけた。 まだ全部は出揃っていない。 この次の仕事は、芽かき(芽の間引き)だ。 写真右 ジャガイモの隣に、3月28日に種をまいた ほうれんそうの芽が出てきた。 本葉(真ん中の葉っぱ)がもう少し大きく なったら、間引きと追肥だ。 |
坂の上の雲(第4巻) 秋山真之少佐が参謀をつとめる 連合艦隊は、ロシアの艦隊を狙って 海から旅順港を包囲するが、 敵艦隊は陸上の強力な砲台群に守られ、 旅順港に潜み、出てこようとしない。 秋山好古少将の属する第二軍は、 遼東半島に上陸した直後から苦戦の 連続であった。 秋山支隊(騎兵旅団以外に歩兵、砲兵、 工兵を含んだ旅団になっている) の働きと第一軍黒木軍の猛攻に よって、遼陽会戦に辛勝する。 地上から旅順を攻める陸軍第三軍 (乃木司令官、伊地知参謀長)は、 連合艦隊の悲壮な願い (203高地への攻撃)を無視し、 頑固に正面突破に挑み、苦戦を続ける。 その頃、ロシア本国からは バルチック艦隊が日本海域を目指して バルト海を出港していた。 ヨーロッパから東洋に向かって 一万八千海里(33,000km)という 気の遠くなるような航海が始まった。 |
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IT関連 | 編集後記とWhat's New | |||||
ソフト『GOLF 1カ月で100を切れ』 本屋のパソコンコーナでこんなソフトを 見つけて購入した。 ゴルフのフォームやスイングについて プロが解説する動画レッスンソフトである。 3時間40分のムービーで、 基本から5週間のレッスンである。 このソフトでじっくり勉強して、 早く100を切りたいものだ。 |
今年の桜も終わりです。 家の回りの草も、青あおとしてきました。 稲作の田の準備も始まります。 これから半農も忙しくなってきます。 4月13日、雇用保険給付のための 失業認定に、ハローワークに行ってきました。 今回が150日給付の最後の認定でした。 ハローワークには、 若者たちも大勢きています。 彼らにとって、景気が上昇しつつある 等の実感は、感じられないのではないかと 思われます。 |
No.21 2004年4月下旬号 (4月24日発行) 写真はクリックで拡大 | ||||||
小さな旅 神戸方面バスツアー 4月20日、○○倶楽部主催の日帰りバスツアーに参加した。 車窓からの風景は、天気もよく新緑がきれいであった。 確実に季節が変わっていっている。
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小さな農業 | 本 | |||||
家庭菜園 家庭菜園の芽も確実に大きくなっている。 写真左 3月15日に植えたジャガイモ。 4月21日、芽かき(芽の間引き)と 石拾いを行った。 植えてから37日目。周辺は草だらけ。 写真右 3月28日に種をまいたほうれんそう。 4月21日、石拾いと間引きと追肥を行った。 種をまいてから、24日目。 今日(4月24日)、トマトとなすとキューリの 苗がそれぞれ2本づつ届いた。 明日、植えてみよう。 |
坂の上の雲(第5巻) 乃木司令官の第3軍は、旅順の203高地を 児玉大将の応援でもって、12月6日、 遂に堕とした。 このとき乃木司令官が作った詩が 爾霊山(203、にれいさん)である。 爾霊山嶮豈難攀 (爾霊山は嶮なれども豈攀じ難からんや) 男子功名期克艱 (男子の功名、艱に克つを期す) 鉄血覆山山形改 (鉄血山を覆うて、山形改まる) 万人斉仰爾霊山 (万人斉しく仰ぐ、爾霊山) 司馬遼太郎は書く。 『爾霊山(にれいさん)というこの言葉の かがやきはどうであろう。 この言葉を選び出した乃木の詩才は もはや神韻を帯びている。 203mの標高の山(203高地)を、 爾霊山(にれいさん、なんじの霊の山)と 詠んでいる・・・・』と。 10月15日にバルト海を出港したロシア海軍 バルチック艦隊は、アフリカ大陸の南端喜望峰を 回り、マダガスカル島の東を北上していた。 旅順港のロシア艦隊が203高地からの 砲撃によって全滅した事や、ロシア旅順軍が 降伏したことも知らずに・・・。 |
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小さな農業 | 編集後記とWhat's New | |||||
水田(1) 今年米作り予定水田の3枚の内の1枚である。 (真中の水を張った水田) 面積が13アール(1反3畝)で、 谷川からの水を引いているため、 夏場に干上がることがある田である。 この5〜6年、休耕田としていたため、 水が溜まるか心配であるため、 4月12日に水を入れて耕運してみた。 心配していた通り、みず持ちが良くないため、 4月18日に再度耕運した。 その後、水持ちは良いみたいである。 5月20日前後に田植えの予定である。 |
連日夏日が続いていたのに、 4月24日は急に冷え込み、 25日朝の霜注意報が出された。 ジャガイモの芽は霜に弱いとのことなので、 布シートをかぶせておいた。 農業はなんといっても天候次第である。 そろそろ5月のゴールデンウィークである。 (私には毎週がゴールデンウィークであるが) 車で山間部を走ると、本当に 目に青葉であり、すがすがしい気持ちになる。 日露戦争の旅順における兵員の損害は、 ロシア軍の戦闘員が4万51千、 その内死傷が1万8千、 その内の死者が2〜3千人。 日本軍は兵力10万、 死傷6万212人、 死者1万5千400人という。 想像を絶する戦いであった。 |