No.19  2004年4月上旬号 (4月3日発行)     写真はクリックで拡大

竹炭焼き(8)  −窯出し−

3月23日7:00時に火入れし、窯止めができたのは24:00時だった。
24日の朝は、まだ窯の表面が暖かかったので、25日に窯出しをした。


写真1

写真1
焚き口を土で覆い、煙突をアルミシートで
密閉した
窯止め状態。(24日朝の写真)

写真2
材料投入口付近を掘り返す。(25日)

写真3
材料投入口のフタを外して、内部を観察。
左上の焚き口側は、約50%が灰に。
煙突側は、5%程灰になっている。

写真4
上の写真が焚き口側の炭で
4kg
下の写真が煙突側の炭で
9kg
(うまくいけば16kgほど取れるとのこと)

写真5
上3本が煙突側の太い材料のもの。
(長さ40cmの材料が約18%縮んでいる)
(重量90gの材料が約70%軽くなっている)
次の3本が焚き口側の太い材料のもの。
(約40%灰になって焼失している)
その下は、細い材料のもの。
細いものでも案外残っていた

写真6
3.4Lの竹酢液が採集できた。
もっと有効に採集すれば7L程度
採集できるとのこと。

写真4
写真2
写真5
写真3
写真6

 火入れから1.5時間後
温度が73〜75℃で一定になり自然(炭化の始まり)に入る。

20分後、口焚きをやめて、焚き口面積を60cmに絞る。
煙突出口面積を16cmに絞り
竹酢液の採取を始める。
窯止めまでに長時間かかったのは、煙突の絞り過ぎが原因と思われる)

火入れから14時間後
145℃で竹酢液の採集をやめる。(150℃以下の竹酢液が良いといわれている)

火入れから16.5時間後

煙が青色になってくる(炭化の完了)。

火入れから17時間後

煙突の出口付近の煙が透き通った感じになり、煙が少なくなる。
焚き口と煙突をいっぱい広げて、煙突の内部に白い粉が付いたようになる。
焚き口と煙突を完全に密閉する。


小さな農業

今年の稲作


今年は3枚の田、36アール(3反6畝)の
稲作を計画している。

5〜6年前に稲作をした事があるが、
当時は、耕してもらい、植えてもらって
ほとんど水の管理だけの稲作であった。
今年からは自分で耕して、植えるつもりだ。
(刈り取りはやってもらう)

写真はこれらの水田の耕運状況である。

写真左
奥が12アール(耕運済)
手前が11アール(耕運中)
この水田は川の水を利用しているため
干ばつの心配はない。

写真右
13アール(耕運済)
この水田は、谷川の水を利用しているため
干ばつの心配がある。

水稲苗は5月16日〜17日頃に
配布予定である。
この耕運のあと、水張りと
水田での耕運、代かき、田植えと続く。

4月、5月は忙しい。


坂の上の雲(第3巻)


病床の床に居ながら俳句界の改革を
成し遂げた正岡子規は、明治35年9月
日露戦争の足音を聞きつつ
35年
生涯をとじた。

満州と朝鮮をめぐるロシアとの外交交渉は
決裂し、ついに
明治37年2月10日
宣戦布告を行った。

司馬遼太郎はいう。
『しいてこの戦争の戦争責任を決めると
すれば、ロシアが八分、日本が二部である。
そのロシアの八分のうちほとんどは
ニコライ二世がおわなければならない』と。

いよいよ連合艦隊の旅順艦隊への攻撃と
陸軍の満州遼東半島への上陸が
始まった。

司馬遼太郎によって、日露戦争を通じての
明治の英雄、天才達の人間像が
巧みに描かれていく。

枢密院議長:伊藤博文
首相:桂太郎
外務大臣:小村寿太郎
海軍大臣:山本権兵衛
満州軍参謀本部総長:大山巌
満州軍参謀本部次長:児玉源太郎
騎兵旅団長:秋山好古
連合艦隊指令長官:東郷平八郎
第一艦隊参謀:秋山真之
ロシア皇帝:ニコライ二世
ロシア出征軍司令官:クロパトキン

小さな旅 編集後記とWhat's New

七谷川堤の桜


今年の桜は、3月29〜30日に、
一気に咲いたように感じられる。

インターネットで桜の名所を探し、4月1日、
亀岡の七谷川沿いの花見に出かけた。

和らぎの道(桜公園)といわれるだけに、
七谷川沿い
2,000m両岸の1500本
いわれる桜は、
丹波地方随一といわれるだけに
見事であった。

京都縦貫道千代川ICから15分。



第1回目の竹炭焼きが終了しました。
13kgの竹炭と、3.4Lの竹酢液が
採集できました。
初めてとしては成功と自賛しています。

この竹炭焼きに際し、窯止めのタイミングや
温度などについて、mamoru-yさん
mamoru-yさんのホームページはこちら
にいろいろアドバイスをいただきました。
ありがとうございました。
インターネットのおかげです。

火入れから窯止めまで、17時間かかり、
窯止めは午前0時の真夜中でした。
次回は
もっと早く焼く方法にアタックします。


この地方の桜は、今が満開で、そろそろ
散りかける気配です。
今年の桜はひときわ美しかったような
気がしました。




No.20  2004年4月中旬号 (4月13日発行)     写真はクリックで拡大

小さな旅  2004年 桜

京都丹波地方の今年の桜は、3月30日の一晩で一気に咲いたような気がする。
例年より一週間程早かったのではないでしょうか。

桜を求めてあちこち小さな旅をしました。

写真1
写真1
4月1日、亀岡の
七谷川沿い。
丹波地方一番といわれるだけに、川と
1,500本の桜の調和はすばらしい。

写真2
4月9日、関西花の寺第13番霊場、
京都の
法金剛院
待賢門院璋子(鳥羽天皇の中宮、12世紀)
が建立したこのお寺の庭園の、
待賢門院桜と呼ばれる枝垂れ桜が優雅。


写真3
4月9日、臨済宗妙心寺派大本山、
妙心寺(京都)内の退蔵院庭園。
室町時代の画聖狩野元信の築園という、
室町時代を代表する枯山水庭園が美しい。

写真4
4月9日、京都
仁和寺
樹高が低く湧き上がる雲のような、
御室桜は名勝に指定されている。
京都で一番遅く咲く桜で、
この日はまだ1〜2分咲きであった。
多くの観光客でにぎわっていた。

写真3
写真2
写真4
小さな農業

家庭菜園


家庭菜園にもそろそろ芽が出てきた。
それにしても、この菜園には石が多い。
(斜面を平にするために削った時に
出てきた石)
石拾いをせんといかんみたいだ。


写真左
3月15日に植えた
ジャガイモ
芽を出しかけた。
まだ全部は出揃っていない。
この次の仕事は、芽かき(芽の間引き)だ。

写真右
ジャガイモの隣に、3月28日に種をまいた
ほうれんそうの芽が出てきた。
本葉(真ん中の葉っぱ)がもう少し大きく
なったら、間引きと追肥だ。


坂の上の雲(第4巻)


秋山真之
少佐が参謀をつとめる
連合艦隊は、ロシアの艦隊を狙って
海から旅順港を包囲するが、
敵艦隊は陸上の強力な砲台群に守られ、
旅順港に潜み、出てこようとしない。

秋山好古少将の属する第二軍は、
遼東半島に上陸した直後から苦戦の
連続であった。
秋山支隊(騎兵旅団以外に歩兵、砲兵、
工兵を含んだ旅団になっている)
の働きと第一軍黒木軍の猛攻に
よって、遼陽会戦に辛勝する。

地上から旅順を攻める陸軍第三軍
乃木司令官、伊地知参謀長)は、
連合艦隊の悲壮な願い
(203高地への攻撃)を無視し、
頑固に正面突破に挑み、苦戦を続ける。

その頃、ロシア本国からは
バルチック艦隊が日本海域を目指して
バルト海を出港していた。
ヨーロッパから東洋に向かって
一万八千海里(33,000km)という
気の遠くなるような航海が始まった。

IT関連 編集後記とWhat's New

ソフト『GOLF 1カ月で100を切れ』


本屋のパソコンコーナでこんなソフトを
見つけて購入した。
ゴルフのフォームやスイングについて
プロが解説する動画レッスンソフトである。
3時間40分のムービーで、
基本から5週間のレッスンである。

このソフトでじっくり勉強して、
早く
100を切りたいものだ。



今年の桜も終わりです。
家の回りの草も、青あおとしてきました。
稲作の田の準備も始まります。
これから半農も忙しくなってきます。


4月13日、雇用保険給付のための
失業認定に、ハローワークに行ってきました。
今回が150日給付の最後の認定でした。

ハローワークには、
若者たちも大勢きています。
彼らにとって、景気が上昇しつつある
等の実感は、感じられないのではないかと
思われます。




No.21  2004年4月下旬号 (4月24日発行)     写真はクリックで拡大

小さな旅  神戸方面バスツアー

4月20日、○○倶楽部主催の日帰りバスツアーに参加した。
車窓からの風景は、天気もよく新緑がきれいであった。
確実に季節が変わっていっている。

写真1
写真1
神戸中突堤から明石大橋まで、
クルーズ(1.5時間)したパルデメール号。
この船体は
グッドデザイン賞とのこと。684トン。

写真2
パルデメール号から明石海峡大橋をのぞむ。

写真3
新神戸駅から布引ハーブ園までの
新神戸ロープウェー(
神戸夢風船)から、
六甲の山並み、神戸市街地そして神戸港を
のぞむ。

写真4
夢風船で空中散歩した後は、
花々の香りを楽しみながら
ハーブ園の散策。

写真3
写真2
写真4
小さな農業

家庭菜園


家庭菜園の芽も確実に大きくなっている。

写真左
3月15日に植えた
ジャガイモ
4月21日、芽かき(芽の間引き)と
石拾いを行った。
植えてから37日目。周辺は草だらけ。

写真右
3月28日に種をまいた
ほうれんそう
4月21日、石拾いと間引きと追肥を行った。
種をまいてから、24日目。


今日(4月24日)、トマトとなすとキューリの
苗がそれぞれ2本づつ届いた。
明日、植えてみよう。


坂の上の雲(第5巻)


乃木司令官の第3軍は、旅順の203高地を
児玉大将の応援でもって、12月6日、
遂に堕とした。
このとき乃木司令官が作った詩が
爾霊山(
203、にれいさん)である。

爾霊山嶮豈難攀
(爾霊山は嶮なれども豈攀じ難からんや)
男子功名期克艱
(男子の功名、艱に克つを期す)
鉄血覆山山形改
(鉄血山を覆うて、山形改まる)
万人斉仰爾霊山
(万人斉しく仰ぐ、爾霊山)

司馬遼太郎は書く。
『爾霊山(にれいさん)というこの言葉の
かがやきはどうであろう。
この言葉を選び出した乃木の詩才は
もはや神韻を帯びている。
203mの標高の山(203高地)を、
爾霊山(
にれいさん、なんじの霊の山)と
詠んでいる・・・・』と。

10月15日にバルト海を出港したロシア海軍
バルチック艦隊は、アフリカ大陸の南端喜望峰を
回り、マダガスカル島の東を北上していた。

旅順港のロシア艦隊が203高地からの
砲撃によって全滅した事や、ロシア旅順軍が
降伏したことも知らずに・・・。

小さな農業 編集後記とWhat's New

水田(1)


今年米作り予定水田の3枚の内の1枚である。
(真中の水を張った水田)
面積が13アール(1反3畝)で、
谷川からの水を引いているため、
夏場に干上がることがある田である。
この5〜6年、休耕田としていたため、
水が溜まるか心配であるため、
4月12日に水を入れて耕運してみた。
心配していた通り、みず持ちが良くないため、
4月18日に再度耕運した。
その後、水持ちは良いみたいである。

5月20日前後に田植えの予定である。



連日夏日が続いていたのに、
4月24日は急に冷え込み、
25日朝の
霜注意報が出された。
ジャガイモの芽は霜に弱いとのことなので、
布シートをかぶせておいた。
農業はなんといっても天候次第である。


そろそろ5月のゴールデンウィークである。
(私には毎週がゴールデンウィークであるが)
車で山間部を走ると、本当に
目に青葉であり、すがすがしい気持ちになる。


日露戦争の旅順における兵員の損害は、
ロシア軍の戦闘員が4万51千、
その内死傷が1万8千、
その内の死者が2〜3千人。

日本軍は兵力10万、
死傷6万212人、
死者1万5千400人という。

想像を絶する戦いであった。