No.61  2005年10月上旬号 (10月15日発行)     写真はクリックで拡大

創刊二周年   林住期三年生に進級


季節は変わり、今年もまた美しいコスモスの季節がめぐってきた。

歳月のたつのはまったく速いもので、2003年10月15日に会社を定年退職してから、
丁度丸ニ年となり、この新聞も、発行してニ周年を迎える事ができた。

顧みれば、この二年間はまったく夢のごとく過ぎ去った感じで、
地域社会への参画や詩吟に入門等で、結構忙しい半農半X生活であった。

明日からは林住期三年生に進級である。

半農

今年の米作りは、昨年より田を一枚増やして、44a(4反4畝)の水田管理によるもので、
米 1,600kgを収穫し、自家用米を除いて1,200Kgを販売する事ができた。

野菜つくりでは、この夏、トマト、きゅーり、なす等が思いの外大量に収穫できた。
いま、さつまいもの収穫期で、白菜とキャベツの苗が育っているところである。

地域での営農組合の仕事も結構忙しい。

半X

詩吟の大雅流頌風館へ入門し一年半となる。
練習や発表会への参加等で、多くの人とのふれあいの場が出来たことがうれしい。

R/Cラジコン飛行機については、冬場に墜落破損させて以来、中断状態である。
これからは絶好の季節であるので、再開したいと思っている。

今、日本経済は好調のようで、株もあがっているようである。
株の取引にはまったくの素人であり、金儲けの才覚はまったくないが、
ネット上での株の売買には興味を持っている。
ミニ株での売買であれば、小額の資金で参加できそうである。
大やけどをしない程度に少し勉強しようかと思っている。

本(半X)
編集後記とWhat's New

新平家物語(第16巻 終刊)

新平家物語
(全16巻)

吉川英治著


講談社出版

長編小説もいよいよ終刊である。

頼朝の兵に追われた義経ら7人は、
難破した船から流れ着いた泉州から、
吉野、伊勢、伊賀等をへて、
ひそかに京の鞍馬に入り静と再会する。

しかし、少年時代を過ごした鞍馬も、
もはや安住の所ではなかった。

義経のかっての保護者であった、
藤原秀衡を頼っての東北平泉への
苦難の逃避行が始まった。

歌舞伎『勧進帳』で知られた、
避行途中の加賀、安宅ノ関での弁慶の
勧進帳の描写は圧巻である。

義経が平泉に着いたその年、
義経の保護者・藤原秀衡が
忽然と死亡する。

秀衡の後を継いだ泰衡に対し、
頼朝は『義経を差し出すか、朝敵たるか』と
せまり、大軍を発したのである。
秀衡の子・泰衡もまた、平家の子達と
同じように、世を知らぬものであった。

泰衡は義経の館へ不意打ちを
かけたのである。

義経の最後が、感動的に描かれる。


新・平家物語を読了


吉川英治著『新・平家物語』をやっと
8ケ月かかって読み終えることが出来た。

昭和25年(1950年)から
7年の歳月をかけて書き上げられた大作である。
たぶん、この本を読んだのは3度目と
思うが、毎回新たな感動を覚えた事である。

ここに、第1巻の巻頭に引用された平家物語
序文・抄の言葉を引用させていただく。

祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり、
沙羅雙樹の花の色、
盛者必衰の理(ことわり)をあらわす。

奢れる人も久しからず。
ただ春の世の夢のごとし。
猛き者もついには滅びぬ。
偏に風の前の塵におなじ。

遠く異朝をとぶらへば、秦の趙高、
漢の王莽(おうもう)、梁の朱?(しゅい)、
唐の禄山、これらはみな旧主
先皇の政にもしたがわず、
楽しみを極め諫めをも思ひ入れず、
天下の乱れん事をさとらずして、
民間のうれふる所を知らざりしかば、
久しからずして亡じにし者共なり。

近く本朝をうかがふに、承平の将門、
康和の義親、平治の信頼、これ等は
猛き心を奢れることも、皆とりどりにこそ
ありしかども、まぢかくは六波羅の
入道、前太政大臣平朝臣清盛公と
申しし人の有様、
伝え承るこそ心も言葉も
及ばれぬ。


この15巻と16巻目のストーリが
丁度、NHKの大河ドラマで放映されている。




No.62  2005年10月下旬号 (10月31日発行)     写真はクリックで拡大

小さな農業 -2005年稲作の総括-


5月14日と24日に田植し、9月3日と10日に刈り取った米が精算され、
販売代金がJAから連絡があった。

一年間の稲作の収支を総括すると、
収支の結果は下の表の通り
45,536円で、この金額がこの1年間の稲作の労働費である。
現在の、苗を買って刈り取ってもらっての半農程度であれば、実質的には赤字経営である。

今年の稲作のエポックは、
昨年に比べて、作付の田を一枚(8a)増やした事、
大きな台風がこなかった事もあり、幸いにして
コケヒカリにならなかった事である。

一年間米の味を保つのには、玄米を低温で保管するのが良いとのことで、
自家米を保管するための玄米保冷庫(保冷温度約10℃、写真の一番右)を購入した。

これから、来年の米つくりのために、田んぼへの施肥と耕運が始めなければならない。

5月24日
田植
8月11日
航空防除
9月3日
刈取り
9月24日
玄米仕上がり

米作り収支表 (単位 円)
収   入 支  出(直接経費のみ)
玄米生産販売代金 375,666 苗代 69,600
 生産の明細
      水田面積      44a
        田の枚数       4枚
        玄米の量    1,610kg
                        
肥料代 47,175
除草剤等 44,800
刈取り代 83,619
ライスセンター代 74,936
水利代 10,000
合計 375,666 合計 330,130
収支(収入−支出) 45,536

本(半X) 編集後記とWhat's New

あの戦争は何だったのか

あの戦争は
何だったのか

保坂正康著
新潮新書

昭和16年(1945年)、真珠湾攻撃により
開戦した太平洋戦争は、
昭和20年(1945年)に日本の
無条件降伏により敗戦し終戦となった。

この戦争で310万人の人が亡くなったという。
(戦後の戦病死を含めると500万人とも)

今年は戦後60年の年である。

この本は、旧日本軍の構造から書き起こし、
開戦にいたるまでの状況、
そして開戦から敗戦への過程が
分かりやすく書かれている。

著者は、
『この戦争は、当時の状況からは
始めなければならなかった。
しかし、もっと早く収めるべきであった』
との立場で、軍部の責任を指摘されている。

この本で印象に残った、次の
文章を引用させていただく。
『日本人は、アメリカ軍が来たら
竹やりで刺し違えるなどといっていたのが、
一夜明けると、全てがリセットされてしまって
アイ・ラブ・マッカサーに変わって
しまえるのだ。
こんな極端な国民の変身は
きっと歴史上でも類がないだろう』

今、戦後60年にして、
自衛隊、憲法改正、外交、靖国問題等の
難しい課題に直面している。

今日、第3次小泉内閣が発足した。



この秋、水稲共済損害評価員を
させてもらった。
水稲の損害・被害分について、
共済金支払のための評価をする立場である。

被害のほとんどは、猪や鹿によるもので、
ほとんど全滅の田んぼが、
10枚ぐらいあった。

猪や鹿も生きるためには必死で、
トタンの柵などは、効果が薄くなって
きている。

鳥獣害被害の著しい、我ら中山間地では
農業者の高齢化と共に、
年々、農作物の耕作意欲が、
なくなりつつある。


今、日本経済は順調のようで、
株価も値上がりの傾向である。
書店には、インターネットでの株取引に
関する本が数多く並んでいる。

このネット株取引には、前々から興味が
あったため、これらの本を参考にして、
ネット証券の口座を開設した。

いつでも株の売買が出来る環境までは
出来たが、肝心の
どの株を買うかとなると
当然のことながら色々と難しい。

この道の才能はまったく無い様である。
半農半Xの生活者としては、
大怪我だけはしないように
したいと思っている。