No.59  2005年9月上旬号 (9月16日発行)     写真はクリックで拡大

男はつらいよ 寅次郎

男はつらいよ
パーフェクト・ガイド

NHK出版 発行

私、生まれも育ちも葛飾柴又です。
帝釈天で産湯をつかい性は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します。


あのなつかしい映画『男はつらいよ 寅次郎』の全48作が、
NHKテレビ(BS2、毎週土曜日21:00から)でこの8月から放映されている。
この放映に気が付いたのが最近で、9月に放映の第9作、第10作を見ることができた。

山田洋次監督と喜劇役者渥美清が日本人の『こころ』を描いた作品で、
多くの日本人が笑い、涙し、心を和ませた映画であった。

第1作の発表が1969年8月の『男はつらいよ』で、1996年の渥美清の死去で
最後の作品となった『男はつらいよ 寅次郎紅の花』まで実に27年間に48作の大作である。
この48作の内、10作ぐらいは見たような気がする。
改めて、これから48作までを見てみようと思っている。

寅さん、さくら、博、おいちゃん、おばちゃん、タコ社長、御前様、源公等の常連に加えて、
毎回違った役者が出演する、マドンナとゲストの演技も楽しみである。

第9作『柴又慕情』は、当時の日活映画のヒロイン、吉永早百合(OL役)をマドンナに迎えて、
娘の結婚に反対する父(ゲスト・宮口精二)と、寅さん一族との絡み合いであった。

第10作『寅二郎夢枕』は、寅さんと幼馴染み(マドンナ・八千草薫)との久しぶりの再会から
話は始まる。まじめな大学助教授(ゲスト・米倉斉加年)と寅さんの掛け合いが面白かった。

これから毎週、土曜日の夜が楽しみである。

本(半X)
編集後記とWhat's New

新平家物語(第14巻)

新平家物語
(全16巻)

吉川英治著


講談社出版

兵庫の一ノ谷の合戦に続いて、
四国屋島の合戦でも、源氏義経軍の
大勝であった。

8歳の天皇を擁して、ひたすら西へ向かった
平家は、清盛の4男の知盛が城塞を構える
彦島(下関と門司間の島)へ落ちて行った。

しかし、彦島の海上・壇の浦の
戦いにおいても、神は平家に味方する
事はなかった。

安徳天皇の最後、入水の場面を、
小説から以下に引用させていただく。

---山鳩色の御衣に、御髪はみずらに
結わせ給い、つねの御癇症や、だだっこの、
み気色もなく、ふしぎとお素直に、
うなずいていらっしゃる。
そして、尼(清盛の妻時子)のするとおりに
小さな手をあわせられたようだった。
とたんに、あっーと小さい叫びがし、
お姿は、尼の体と一緒に、この世と
海づらの間を、さっとひるがえりつつ、
沈んでいった。---


稲の刈り取り


9月3日に1枚と、9月10日に3枚の
田の刈り取りをしてもらった。
今年の半農の大きなイベントは終わった。
あとは、ライスセンターからの
新米の出来上がりを待つのみである。

この地区では、9月5日の台風14号に
よって、ほとんどのコシヒカリが倒伏し、
我営農組合のコンバインの調子も悪くなり、
オペレータを泣かしている。
コシヒカリは今年もコケヒカリとなった。



衆議院総選挙

9月11日に実施された
衆議院総選挙は、自民党の圧倒的な
勝利に終わった。
解散当時、誰がこの結果を
予想したであろうか。
小泉首相が一番びっくりしているのでは
なかろうか。

政治に無関心といわれる無党派層も、
多くが小泉首相の改革路線を
支持した結果であろう。

まだまだ、日本の民意も
健全であったと思いたい。





No.60  2005年9月下旬号 (9月29日発行)     写真はクリックで拡大

詩吟と舞   −漢詩の風景−


9月18日、舞鶴市総合文化会館で、第19回中丹文化芸術祭が開催された。
今年のテーマは、詩吟と舞 −漢詩の風景− で、吟道大雅流頌風館からも多数が参加し、
我々のグループからは、上杉謙信作、『9月13夜陣中の作』を合吟で詠った。

『9月13夜陣中の作』は、戦国の時代に越後の虎と呼ばれた上杉謙信が、
はるか中国筋の毛利氏と連携し、織田信長挟撃を策し、織田方の能登七尾城を落とし、
信長軍を加賀手取川に撃破したときに作った詩である。

合戦の天才児、上杉謙信は、また詩の達人でもあった。

九月十三夜陣中作   上杉謙信

霜満軍営秋気清
数行過雁月三更
越山併得能州景
遮莫家郷遠征憶

中丹文化芸術祭パンフ プログラムの一部 他の先輩の独吟
他のグループの合吟 構成詩舞『源平物語』 構成剣舞『関ヶ原前夜』

本(半X)
編集後記とWhat's New

新平家物語(第15巻)

新平家物語
(全16巻)

吉川英治著


講談社出版

源平合戦の最後の戦い・壇ノ浦の戦いに
勝利し、京へ凱旋した義経に対し、
鎌倉の頼朝の仕打ちはあまりにも
過酷であった。

義経にたいする院等の人気に対し、
将来への過度な怖れや、梶原の讒言をも
入れた猜疑心によるものであった。

ついに、義経斬るべしとの号令を発し、
頼朝は大軍を率いて出陣した。

義経や愛妾・静以下二百余騎は、京を脱出し
西国へ向かうが、大物(尼崎)の沖で
暴風雨にあって、全船難破しほとんどの
部下を失っての逃避行が続く。

鎌倉の頼朝によって、
日本の土地の上に、初めて、守護地頭の
制が布かれ、武家政治の形が
誕生したのである


ほぼ旬刊K'Chan新聞 発行ニ周年


この新聞を発行して、丁度、丸二年となった。
退職して、半農半X生活満二年でもある。
このホームページの中身は、
あまり代わり映えがしないが、
それでもよく続いたものだと思っている。
何かもっと変わった企画がないものかと
思案中である。

今後共皆さんのご愛読と叱咤激励を
お願いいたします。
(何でも結構です、掲示板への積極的な
書き込みを期待しています)

アルバイト

7月25日から、某所でアルバイトをしている。
仕事の内容は、パソコンを使っての、
データの整理である。
やはり一日中、毎日の仕事には、
すこし不自由を感じかけている。
あまりぜいたくは言えないが、
やはり、一日の半分仕事ぐらいが
丁度のようである。

この仕事も、10月の中旬には
済みそうである。
冬場に墜落させて、そのままになっている
ラジコンの再開に力を入れようかと
思っている。