No.107  2007年9月上旬号 (9月13日発行)     写真はクリックで拡大

マイロボットの組立(第76号〜第79号)

マイロボットの組立は、第75号でベーシックモデルの完成となったが、
オプションとして、さらに機能を追加するために第90号まで延長となった。

追加される機能の一つが、『物をつかむことができる手』である。
完成すれば、3本の指のうち1本の指がプログラムやパソコンからの遠隔操作で
動作することになる。

第76号部品一式
ロボットハンド指部品
第77号部品一式
ロボットハンド操作ギヤ
第78号部品一式
ロボットハンド操作モータ
第79号部品一式
ロボットハンド前腕部
ロボットハンドの
3本の指
ロボットハンド
前腕部組立

本(半X)
編集後記とWhat's New

剣客商売(16)

池波正太郎著

新潮文庫

新潮社
発行

楽しんで読んできた『剣客商売』も、
この第16巻が最終の巻である。

この最終巻では、
26年前に、小兵衛が死闘の末倒した
剣客の遺児とのめぐり合いから始まり、
強敵伊丹又十郎との対決がストーリである。

最後の剣は、
大刀・粟田口国綱による
無外流居合い・霞(かすみ)の
一手による勝利であった。

この時、主人公・秋山小兵衛は67歳、
妻・おはる27歳、息・秋山大治郎32歳、
その妻・三冬27歳、その子・小太郎4歳
であった。

作者・池波正太郎氏は、この
単行本『浮沈』刊行の翌年(平成2年)に、
小兵衛と同じ67歳で逝去された。


安倍首相が辞任


9月12日、安倍首相辞任との
衝撃的なニュースが入ってきた。

参院選での敗北後の臨時国会が
始まり、テロ特措法や年金問題への
取り組みに対し、責任政党として
どう対応されるのか、期待していただけに
突然の辞任には大変驚くとともに、
たいへん残念なことである。

昨今のマスコミからの
猛烈な安倍パッシングに対し、
安倍首相といえども精神的に、
耐え得なかったということであろうか。、

この政局の混乱は、
先の参院選での与党敗北による、
国会のねじれ現象に原因があると
思われるため、早く衆議院を解散し、
本当に民意が政権交代を望むのかを
問うてほしいものである。




No.108  2007年9月下旬号 (9月29日発行)     写真はクリックで拡大

マイロボットのプログラミング


マイロボットは限定されたものではあるが、頭、腕、ベース(足回り)が動き、
140個のフレーズ(言葉)を発することができ、10個の言葉を録音(1個16秒間)・再生、
そしてライトの点灯などをさせる事ができる。
また、頭へのタッチを検出するタッチセンサー、音の発生方向を検出する4個のマイク、
温度を検出する温度センサー、ロボットとの近接距離を測定する3個の超音波センサー、
その他アナログ入力、デジタル入力センサーが付属している。

これらの機能だけの特化ではあるものの、プログラムを作成できるツールとして、
ビジュアルCライク・エディターが供給されている。
(上の写真はこのエディターでプログラム中の写真)

このエディターではビジュアル化された絵柄を配置する事によって、
Cライク言語に書き換えられ、ブルートゥース接続によってロボットに転送し、
コンパイルされ実行される。

下記の動画はこのエディターを使用して作成したプログラムによるロボットの動作である。
(これらのプログラムソースは、Yahooブリーフケースで公開しています)

このほかに、なにかもっと面白いプログラムができないものか目下思案中である。


本(半X)
編集後記とWhat's New

昭和史入門

保坂正康著

文春新書

(株)文藝春秋

昭和64年(平成元年)1月7日、
通勤途中の車のラジオニュースで、
昭和天皇の崩御を聞いた記憶がある。

あれから平成になって19年、
昭和もだんだんと遠くなりつつあるが、
我々の生活基盤の前半は昭和であった。

この本では、昭和を三つの時代に分けて、
昭和元年から終戦の昭和20年までを
昭和前期、
講和条約が発効し日本が独立を回復する
昭和27年までを昭和中期、
そして昭和天皇崩御の
昭和64年までを昭和後期と
分類されている。

そして、昭和前期を
『軍事主導体制とその崩壊』の時代、
昭和中期を
『再生日本と新生日本の対立』の時代、
そして昭和後期を
『高度経済成長と経済大国となる』時代
と位置付けされている。

我々の年代の者が物心がついて、
本当の記憶があるのは、昭和後期であり、
幸運な時代に生きてきたと思える。


マスコミの品格

毎日新聞の紙面には『闘論』という
欄があり、最近の時事について、
賛否両論の意見が紹介される。

9月25日の『闘論』において、
『横綱朝青龍問題』が取り上げられ、
朝青龍を擁護する立場の意見を、
モンゴル国営通信社の記者が
述べられていた。

以下にその一部を紹介させていただく。

『元来、モンゴルでは有名人に対する
態度が日本と全く違う。
人気歌手のコンサートでは、
ファンが大いにフィーバする。
だが、街でその歌手に会っても
騒がないし、知らん顔だ。
だから、朝青龍を保養地まで追いかける
マスコミはいない。

日本からは大勢の取材陣が押し寄せ、
追跡しあっていた。
なぜそっとしておく
理性がないのだろうか。
横綱に
品格を求めるのなら、
マスコミの姿勢にも
品格があって
しかるべきだ。・・・・・・・』


昨今のワイドショー的なテレビ番組や
週刊誌記事の報道には、
あまりにも行き過ぎがあり
記者の指摘のように
本当に
品格がないような気がする。

上のモンゴルの記者の指摘に対し、
マスコミはなんと反論するのであろうか。