No.135  2008年11月上旬号 (11月15日発行)     写真はクリックで拡大

RC ヘリ講座(19)  フライトテクニック


ヘリでのフライトの特徴は、ホバリング(空中で機体をほぼ静止状態に保つ)ができることであり、
離陸、着陸を安全に行うためには、ホバリングの習熟がまず必要である。

上達者は、ほとんど機体が動かない程の静止状態を保つことができるが、
機体の安定度は、操縦者の腕前が3割、機体の調整状態が7割であるといわれている。

フライトの種類は下の表の通りで、これらのフライトを組合わせて行う検定会が
開催されていて、F3C日本選手権や世界大会も開催されている。

RCヘリをはじめて手にしてから、もうすぐ1年になろうとしているが、
現在、ラダーターン、8の字旋回、360度旋回を練習中のレベルである。
(ホバリングの内、対面ホバはまだこわくてできない)

フライト種類 フライトの内容
正面ホバリング 機体の後方に立ち、上下、左右、前後方向にほぼ静止させる
側面ホバリング 機体の側面に立ち、上下、左右、前後方向にほぼ静止させる
対面ホバリング 機体の前方に向かって立ち、上下、左右、前後方向にほぼ静止させる
前進 機体を前進させる
後進 機体を後進させる
上昇、下降 機体を上昇、下降させる
横移動 機体を左右に横移動させる
ラダーターン 前進から減速し180度回転し、再び前進する
8の字旋回 上から見て、大きく8の字を描くように飛ばす
360度旋回 上から見て、大きく円を描くように旋回する
360度ピルエット ホバリングからその場で360度回転する
ループ 前進の途中で宙返りをする
ロール 前進の途中できりもみ(機体の長手軸を中心に回転)をする
オートローテーション 前進中にエンジン(モーター)を止め、定点に着陸する
ストールターン 水平飛行から垂直に上昇した後、垂直に下降し水平飛行にうつる
3Dフライト 背面(ローターを下にして)飛行と背面ホバリングを組み入れた
アクロバットフライト

本(半X)
編集後記とWhat's New

翔ぶが如く(九)

司馬遼太郎著

文春文庫

(株)文藝春秋

西郷隆盛を大将とする薩軍は
熊本城に篭城する政府軍にてこずり、
さらに政府軍の援軍を相手に、
熊本城の北、田原坂の激戦においても
ついに破れる。

この西南戦争の政府軍の大将は、
山県有朋中将である。

この西南戦争に参加した
政府軍の野津道貫(薩・中佐)、
黒木為驕i薩・中佐)、乃木希助(長・少佐)、
大山巌(薩・少将)、児玉源太郎(少佐参謀)
らは、後の日露戦争で活躍している。

ついに4月14日午前二時、
西郷を乗せた駕篭が細雨が降る
熊本の薩軍本営を出て行った。

薩摩士族に熊本士族を加えた薩軍
一万人は、二千人程が死傷し
八千人になっていた。

熊本を発った薩軍は、
熊本の南方、人吉に集結するのだが・・・。


今年の紅葉は?


朝夕はめっきり寒くなって
暖房がほしい季節になった。

我が家周辺の山々の紅葉も
急に色づいてきたようである。

このところの夜の寒さのせいか
今年の紅葉は例年になく
色づきがきれいなようである。







No.136  2008年11月下旬号 (11月30日発行)     写真はクリックで拡大

RC ヘリ講座(20)  ヘリ組立調整用工具

初めてヘリを飛ばす場合、すぐに飛ばすことができる完成品(RTF)を
購入したとしても、おそらくすぐに墜落させて、分解して再組立が必要となってくる。
また、機体の整備のために、常に調整作業が必要である。


ヘリの組立、調整に必要な工具類を下表にまとめてみた。

六角ドライバー
EPキャリバー400の使用ビスはM2、2.6、3mmである
(SRB Quarkの使用ビスはM1.4、2mmである)
これらビスの六角キャップビスの締め付け用である
写真上から、六角対辺が、1.5、2、2.5mm
プラスドライバー
ナベビスの締め付け用である

写真上から、軸径2.5、3mm(SRB用は2mm)
ボックスドライバー
ナット締め付け用である
写真上から、六角対辺が、4、4.5、5mm
ペンチ類
写真左:ニッパー(配線の皮むき用に使用)
写真中:ラジオペンチ(いろいろに使用)
写真右:リンクペンチ(リンク接続部のロッドエンド取外し用)
ピンセット
このサイズのヘリでは、ビスやナットが小さい
これらの組み込みに良く使う
ドリル
ヘリのキットを購入すれば、ほとんどが加工済であるが
2mm程度の穴あけをする箇所がある。
写真はハンドドリル(2mmのドリル刃を取り付け状態)
電動ドリルがあると便利
カッターナイフ、はさみ
梱包のバラシや、ビニール袋から部品の
取り出し等その他いろいろに使う
ノギス
組立や調整時には、1mm以下の単位で
寸法測定する場合がある。
デジタル表示のものがほしいいものである。
半田ごて
モーター、アンプ、バッテリー間の接続端子が
標準化されていないために、メーカーでバラバラである。
端子の取替え時にハンダ付けが必要である。
半田ごての容量は、あまり大きくない30〜40Wが適当。
テスター

電圧、電流、抵抗測定等に電子工作には必需品である
ピッチゲージ
組立や調整時に、ブレードのピッチ角の測定に使用する。
ブレードの大きさに合ったサイズを選定する
ブレードバランサー

2枚のブレードの重量バランスを取るために使用する。
ツールボックス
飛行の現地で調整ができるように、工具の持参が必要。
工具を収納するボックスである・

バッテリーの充電装置や組立用副資材などは次回。
本(半X)
編集後記とWhat's New

翔ぶが如く(十)

司馬遼太郎著

文春文庫

(株)文藝春秋

この長い小説も
この第十巻でいよいよ終巻である。

明治10年2月
雪が降る中、薩摩を出兵した薩軍は、
4月に熊本を後にして以来、九州を
人吉、宮崎、延岡と転々としている。

政府軍は六万、対する薩軍は一万にも
満たない。

この間、政府太政官では
岩倉具視が東京で、
三条実美、大久保利通、伊藤博文らが
京都で指揮をしている。

5月26日、
大久保への協力者であり、批判家であった
木戸孝允もこの世を去った。

ついに、8月16日
西郷隆盛は、
日向(宮崎)の延岡の北の山地で
薩軍の解散命令を発した。

『我軍の窮迫、此処に至る。
今日の事、唯一死を奮って決戦
するにあるのみ。
此の際、諸隊にして、
降るらんとするものは降り、
死せんとするものは死し、
士の卒となり、卒の士となる、
唯、其欲するところに任せよ』
と・・・。

鹿児島を出る時に
一万人余だった兵力は、
途中での徴募で延べ三万人に
達していた薩軍の人数も、
この段階で
二千に減っていた。
さらに、この解散命令で千人になった。

この日西郷の愛犬二頭も放したという。

そして、17日、
西郷を囲んでの軍議の結果、
西郷の決によって、
生まれ故郷の鹿児島へ向かう事となる。

父祖の地へ駆けもどり、その土を踏み、
その地で死にたいと・・・・。

日向の山中を一路南に向かい
鹿児島に入ったのは9月1日であった。

この山中で死ぬ者、道に迷う者、
戦死や脱落する者があって、
最後の城山に篭ったのは
三百七十余人であったという。


(左から続く)

城山というのは、
島津城(平屋の居館)を南麓にもつ
1km四方の天然の山谷である。

この城山に逃げ込んだ
薩兵三百余名に対し、
城山を取巻く政府軍は
五、六万という大軍であった。

ついに、9月24日午前4時、
政府軍の総攻撃が開始された。


西郷隆盛の最後を
この小説の文中から引用する。

西郷らが最後の突撃をするために
洞窟を出た後、

『西郷が坂の下方に向かって歩きだすと
四十余人も動いた。
西郷の背後から足の悪い
別府晋介が山駕篭に乗って
従った。

・・・・

西郷らが林を抜けたとき、
はたして飛弾の密度が圧倒的に
濃くなり、西郷の大きな体に
二個の小銃弾が食い込んでしまった。

西郷は突んのめるようにして倒れたが、
すぐに体をおこし、後の別府晋介を
かえりみて、

「晋ドン、モウココデヨカ」

別府は「そうじ(そうで)ごわんすかい」と
いって駕篭をおろさせ、
従僕の小杉・豊富の両人に介添えされて
地上に立った。

かれは天地の何にもまして
西郷が好きだったが、この時
気丈に抜刀し、西郷の背に立ったのは、
西郷の介錯をするという栄誉と
義務感にささえれれていたからに
相違ない。

「御免なって賜も」
というや、別府の刃が白く一閃して
西郷の首が地上に落ちた』


明治10年9月24日
かって、手を取り合って明治維新を
成し遂げた大久保利通と西郷隆盛の
戦いは終わった。

そして、その翌年明治11年5月14日、
大久保利通は太政官へ行く途中、
馬車の中で、
石川県の士族、島田一郎の刃によって
殺害された。

大久保利通49歳、
西郷より三つ下で、木戸孝允より
三つ上であった。