No.115 2008年1月上旬号 (1月14日発行) 写真はクリックで拡大 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
RC ヘリ 講座 (2) ラジコン(RC)の電波 RCとは『ラジオコントロール』、すなわち『電波による操縦』の略である。 プロポと呼ばれる送信機から電波を発して、 その電波を機体の受信機が受けて作動するものである。 飛行機やヘリ等の空もののラジコン用電波には、 40MHz帯と72MHz帯の超短波が割り当てられ、下表の周波数である。 他に、本来はラジコンカーやボート用に使われている27MHz帯(12バンド)が 小型飛行機に限り認められている。
ラジコンの電波は、屋外では半径1kmの範囲まで届く可能性があるため、 二機以上が同じ周波数で飛ばすと、相手のラジコン機に影響を与えることになる。 プロポのスイッチを入れる際には、他に操縦者がいないか等の注意が必要である。 これらの周波数は、送信機側と受信機側に取り付けられたクリスタルによって決まる。 クリスタルを取り替えることによって、周波数が変更できる。 写真の左がXRBーSR シャトル用プロポ、写真右が本体で、写真中央がクリスタルである。 81と書かれたラベルがついている。(40.81MHzの周波数である) プロポとは、『プロポーショナル』の略で、『比例』を意味している。 すなわち、プロポのスティック(操作レバー)の移動量(角度)に比例した量だけ、 本体のサーボ(制御モータ)が動くようになっている。 近年、プロポにコンピュータが搭載され、高級化してきていて、 より複雑な設定が可能となっている。 第2回の講座はここまで。次回に続く。 |
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本(半X) |
編集後記とWhat's New | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||
真田太平記(5) 秀頼誕生
日本国の統一だけでは飽き足らず、 明(中国)や朝鮮まで出兵した 太閤秀吉にも、寿命が近づきつつあった。 死に臨み、秀吉の心配はひとつ、 幼い跡取りの秀頼(6歳)のことであった。 63歳の生涯をとじる13日前に書いた 遺言状は次のごとくであったという。 『五人の大老たちよ。 秀頼のことを、くれぐれも、たのみ まいらせる。たのむ。たのむ。 自分はまもなく死ぬるが、まことに、 名残りおしいことじゃ。 秀頼が大きくなり、立派に豊臣家の あるじとなるよう、たのみまいらせる。 このほかに、おもいのこすことはない。 八月五日 秀吉 いえやす(家康) ちくぜん(利家) てるもと(輝元) かげかつ(景勝) ひでいえ(秀家) まいる』 秀吉の死後、 大阪城の秀頼側と、京都の伏見城に 陣取る徳川家康との確執が いよいよ険しくなってくる。 |
新春初詣 1月14日 毎年、新春の恒例になった、 大神神社(おおみわじんじゃ、 奈良県桜井市)へ初詣に行ってきた。 京都三和大神講の皆さんと、 バス7台でのお参りであった。 大神神社は、三輪明神とも呼ばれ、 大物主大神(おおものぬしのおおかみ)が 祀られ、日本神話にその由緒が記されていて、 『日本最古の神社』と称されている。 神社の背後の三輪山をご神体として 成立した神社で、今日でも本殿を有してなく、 拝殿から三輪山そのものを仰ぎ見て拝む 古神道(原始神道)の形態であるという。 下の写真は神殿で、講員の今年一年の 平安をご祈祷いただいた後に、神殿に 奉納された巫女さん達の神楽である。 |
No.116 2008年1月下旬号 (1月31日発行) 写真はクリックで拡大 | |||||||||||||||
RC ヘリ 講座 (3) ラジコンヘリの分類 ラジコンヘリは動力方式の違いからエンジンヘリと電動ヘリに分類される。 写真左は、京商製電動700クラスのEPキャリバー700である。 全長1110mm、重量3.8kg、リポ11.1V4800mAhバッテリーを2個搭載。 電動ヘリでは最大級であるが、エンジンヘリの30クラスに相当し小さい。 写真右は、京商製エンジン90クラスのキャリバー90である。 全長1410mm、重量5kg、排気量15CCのエンジンを搭載している。 (写真はいずれも京商のホームページから借用)
第3回の講座はここまで。次回に続く。 |
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本(半X) |
編集後記とWhat's New | ||||||||||||||
真田太平記(6) 家康東下
秀吉の生前には一本にまとまっていた 大名達も、秀吉が死ぬと、 かっての朝鮮出兵時の文治派と武断派の 対立が表面化してきた。 石田三成らの文治派は、 秀頼やその母・淀の方に接近し、 武断派の加藤清正や福島正則等を 遠ざけ始めた。 家康はこれらの対立をたくみに利用し、 勢力の分断をはかって行く。 京都の伏見城から 大阪城へ入った家康は、とうとう 意に沿わぬ奥州の上杉景勝討伐の 兵をあげた。 奥州へ向かって、大阪城を留守にする間に、 石田三成は蟄居中の佐和山城から 大阪城に入り、 家康への反旗を揚げたのである。 家康に従って、奥州へ向かった 真田昌幸・信幸・幸村父子は、 急遽会談し、昌幸と幸村は大阪方へ 参陣するために信州上田へ帰り、 信幸は家康陣に留まることとなった。 |
マイヘリコプター おもちゃヘリ・ハニビー(写真手前)から はじまったヘリ道は、 とうとう屋外用ヘリにまで 手を出すに至ってしまった。 写真奥が、京商(株)製の EPキャリバー400BLS仕様 シュワイザー300Cである。 (電動400クラスヘリ) 格好はアメリカのSchweizer aircraft社の シュワイザー300Cという型名のヘリが モデルになっているらしい。(下の写真参照) 室内用ヘリ・ヒロボー製XRB−SR(写真中)は 一応6畳の広さで飛ばせるようになったが、 このEPキャリバーは、 そう簡単には飛ばせられない品物の ようである。 |