No.117  2008年2月上旬号 (2月13日発行)     写真はクリックで拡大

RC ヘリ 講座 (4)

ヘリの飛行原理(その1)



ヘリコプターの特徴は飛行機と同様に、上下、前方への移動、回転移動ができる上に、
垂直方向への移動、左右への移動、一点での回転、さらに定点での静止ができることである。
メインローター(機体の上のプロペラ)とテールローター(機体後方のプロペラ)のみによって
これらの動作ができる原理はわかりにくく、その構造もまた複雑である、

ヘリの飛行原理を理解するために、比較的構造がシンプルである飛行機の飛行原理を
理解することから始めよう。

上の左の写真は飛行機に働くさまざまな力である。
プロペラの回転によって前方への推力が発生し、風などによる抗力に打ち勝って前進する。
前進によって発生する風の流れが、主翼に当たり、翼の上向けに揚力が発生し、
揚力が重力(自重)よりも大きければ上昇し、小さければ下降する。
飛行機の飛行原理は直感的にも比較的易しく理解できる。

飛行機の舵取りはどのように行うのであろうか。
写真中は舵取り装置であり
、写真右はこの舵を制御するプロポのスチック位置を表している。

動作 舵の動作(写真中参照) プロポの操作(写真右参照)
前進 プロペラの回転を上げれば加速し、回転を下げれば減速する。 プロポの右ステックを上に倒すとプロペラの回転が上がり、下に倒すと回転が下がる
ロール 主翼の左右に付いているエルロンの傾き(左右で上下逆の動き)によって、機体の長手軸方向に回転する プロポの右ステックを左右に倒すとエルロンが傾く(左右のエルロンは上下逆の動作をする)
上下 尾翼についているエレベーターを下げれば上昇し、エレベーターを上げれば下降する プロポの左ステックを上下に倒すとエレベーターが上下する
旋回 尾翼についているラダーを右に振れば機体は右に向き、ラダーを左へ振れば機体は左へ向く プロポの左ステックを左右に倒すとラダーが左右に振れる
(写真は竢o版社発行の『ラジコン飛行機をはじめる前に読む本』から借用)

第4回の講座はここまで。次回に続く。

本(半X)
編集後記とWhat's New

真田太平記(7)
関ヶ原

池波正太郎著

新潮文庫

(株)新潮社

徳川家康は、石田三成が家康へ
反旗をあげた事を知って、
ついに慶長5年(1600年)9月1日、
3万3千の本軍を率いて江戸城を発し、
西上の途についた。家康59歳。

西軍の将・石田三成は、
大阪城をたって、大垣城に入っている。

関ヶ原に集結した兵力は
東軍10万4千、西軍8万2千であった。
秀忠軍の4万は、信州上田城の
真田父子の反撃にてこずり
いまだ関ヶ原に到着していない。

9月15日、
霧が上がった午前8時頃に始まった
戦闘は、西軍の小早川秀秋等の東軍への
寝返り等があったりして、
11時には東軍勝利が決定的となった。

9月27日、家康は大阪城へ
入城を果たし、
そして10月1日、敗軍の将・石田三成や
小西行長、安国寺恵瓊等が
京都六条河原で処刑された。


今年の雪


今年の冬は暖冬で良い天気が続いていたが
1月の後半から一転して連日天気が悪い。

写真は1月25日の雪で、
積雪は25cmであった。
立春が過ぎたとはいへ、
もう少し寒い日が続きそうである。


初午


2月の最初の午(うま)の日(2月12日)を
初午とよんで、稲荷さんを祀る行事が
行われている。


写真はこの地区の清A稲荷さんの
初午の行事である。(2月10日に実施)

何百年と続いているであろう初午の行事が
今年も無事にとり行なわれた。





No.118  2008年2月下旬号 (2月28日発行)     写真はクリックで拡大

RC ヘリ 講座 (5)

ヘリの飛行原理(その2)



ヘリコプターの飛行原理について良くわからないところがあって、ネットで調べていたところ、
『ローターの回転でナゼ飛行できる?』というサイトを見つけた。
自分の頭を整理する目的で、上の図をつくってみた。

ヘリコプターには機体の上部で回転するメインローターと機体の後部でメインローターと
直角に回転するテールローターとがある。
メインローターが右回転すると(ローターを上から見て)、ヘリ機体はその反作用で
左回転しようとする。

テールローターはこの反作用による機体の左回転を阻止するように回転している。
テールローターのピッチ角(回転面との傾き)をさらに大きくすることによって、
機体を右回転させることができ、ピッチ角を小さくすることで、
機体を左回転させることができる。

ヘリの回転動作以外の他の動作は、メインローターのピッチ角を変えることによって
行える構造となっている。

下の表は、ヘリの動作とローターの回転面上の位置におけるローターのピッチ角との
関係である。(ローターの位置とピッチ角については、上の図を参照)

下表のとかとかがローターのピッチ角を表していて、
ピッチ角というのは、0度という意味ではなく、基準となるピッチ角で、
機種によって角度は異なり、EPキャリバー400の場合は、
プロポのスロットルスティックがスローの時に約0〜2度、
スロットルスティックが中央の時約8度、
スロットルスティックがハイの時に約10〜11度に調整するように推奨されている。
(この推奨値は通常の飛行の場合で、アクロバットフライト等の場合は異なる)

ピッチ角というのは、基準の角度()よりも大きい角度となることで、
ピッチ角−というのは、基準の角度()よりも小さい角度となる事を意味している。

コレクティブピッチ制御
ヘリが空中でほぼ静止状態となっているホバリングの状態から、
上昇や下降をさせる場合は、ローターが回転面の全ての位置においてピッチ角を
や−に増減させることによって、ローターの揚力が増減し上昇や下降をおこなう。

サイクリックピッチ制御
ヘリを前進や後進、左右への移動をさせる場合には、
ローターが1回転する間のローター位置によって、下表のようにピッチ角を変化させている。
(下表のから−への変化は、ローターが1回転する間にサインカーブのように
滑らかに変化している)

ピッチ角の変化によって、ローターには、前進や後進、左右へ移動する推力が発生する。
(上の図参照)
この推力によって、機体が移動すると共に、機体が前傾や後傾、左傾、右傾し、
さらに前進や後進、左右への移動が加速されることになる。

       ローターの位置(上の図参照)
T U V W
ホバリング
上昇
下降
前進
後進
左へ移動
右へ移動

次回は『コレクティブピッチ制御』と『サイクリックピッチ制御』のメカニズムについて
記載したいと思っている

本(半X)
編集後記とWhat's New

真田太平記(8)
紀州九度山

池波正太郎著

新潮文庫

(株)新潮社

関ヶ原の戦いに勝利した徳川家康は
西軍の諸将、毛利輝元や上杉景勝
島津義弘などの減俸処分を行った。

西側に組した上田の真田昌幸、幸村父子は
西側に組した真田信幸の義父
本田忠勝の懸命の助命によって
死罪を免れ、紀州九度山に
蟄居させられる。

一方の真田信之(信幸から改名)は
父・昌幸の所領が加えられて、
9万5千石の大名となった。

慶長8年(1603年)
徳川家康は天皇から、征夷大将軍に
任じられ、ついに朝命を受けて
江戸幕府を開いた。

家康62歳、秀忠25才、昌幸54歳、
信之37歳、幸村36歳、豊臣秀頼11歳、
その妻千姫(家康の孫)7才であった。

慶長10年
徳川家康は息・秀忠に将軍位を譲って
以後は『大御所』とよばれることとなるが、
実権は依然家康の手にある。

65万石の一大名となった
大阪城の豊臣秀頼と、誇り高き生母・
淀の方や取巻きと家康の間には、
確執が続く。


ヘリ道


屋外用ヘリ
京商製EPキャリバー400
シュワイザー300Cの飛行練習を始めて
ほぼ1ケ月が経過した。

この間に23B回
(バッテリ23回分、1回約5分の飛行)の
練習を行ってきた。

最初は地上を這いずり回っている
といった状態であったが、
最近やっと1.5m程度の高さで、
3分程度連続して
浮上できるようになってきた。

もちろん、まだ
ケツホバとよばれる練習で、
ヘリの頭を前に、お尻を操縦者側に
向けての操縦で、一番初歩の段階である。

ケツホバの次は、
目線の高さでの平行移動、
側面ホバリング、そして
恐怖の対面ホバリングの練習である。

これらができてから、
やっと上空での飛行が可能であり、
まだまだ上空飛行への道のりは長い。

まだしばらくは、ピンポン玉の
アメンボウ(転倒防止装置)は
外せられないようである。