No.129  2008年8月上旬号 (8月15日発行)     写真はクリックで拡大

RC ヘリ 講座 (16)

バッテリーの充電



バッテリーの電気エネルギーでモーターを回転させ、最終的にローターを回転させる
EP(電動)ヘリは、バッテリーの管理とバッテリーの充電作業が重要である。

特に最近の高性能、高容量バッテリーである、
Li−Po(リチュームポリマー)バッテリーの場合には、充電に細心の注意が必要である。
取扱を誤ると、バッテリーの破損、発火、火災となる可能性があるため、
Li−Poバッテリー専用の充電器を使用し、通常、充電電流は1C以下とする必要がある。
(バッテリーによっては、2C充電までできるものもある)

上の写真の左は、EPヘリキャリバー400用Li−Poバッテリの充電状況で、
写真内の右上が、Li−Poバッテリーで電圧11.1V(3セル)、容量2000mAhである。

右下が、Li−Po専用充電器で、DC11〜15Vの入力電源から4セルまで充電できる。
充電電流は、0.1Aから3.0Aまで設定でき、バランサーを付属していて、
バッテリーセル間のバランスを取りながら充電できる。
入力側をDC12VのカーバッテリーやDC12V安定化電源装置に接続し、
出力側をバッテリ端子とバランス端子に接続する。

Li−Po専用充電器は、バッテリーにとって危険な過充電にならないように、
たとえば、3セル2000mAhバッテリであれば、電圧が12.6Vまでは、
1C(2A)の定電流で充電し、12.6Vに達すると、12.6Vの定電圧で徐々に
充電していく定電圧・定電流方式となっている。
またセル間に電圧差が生じないように、セル間のバランスを取りながら
充電するバランサーを内臓した方式が、現在の主流である。

左が安定化電源装置で、AC100Vの電源入力を
出力電圧DC12Vで25Aの容量まで安定して供給できる。

充電器の電源としては、DC12Vのカーバッテリーも使用できるが、
何本かのバッテリーを充電すると、カーバッテリそのものの充電が必要になるため、
扱いがめんどうである。
写真のようなDC電源安定化装置があれば、充電作業の扱いは
きわめてシンプルになる。
安定化装置の出力容量は充電器が必要とする容量以上が必要であるため、
機種の選択時には注意が必要である。

上の写真の右側は、
小型ヘリSRB Quark用バッテリ、2セル(7.4V)、480mAhの充電状況である。
AC100Vに専用充電器を接続し、バッテリをセットするだけで、
簡単・手軽に充電できる。

Li−Poバッテリの場合、1Cで充電すれば、約70分程度の時間で充電できる。


次回に続く。

本(半X)
編集後記とWhat's New

翔ぶが如く(3)

司馬遼太郎著

文春文庫

(株)文藝春秋

明治6年10月14日、廟議が開かれた。
出席者は、
太政大臣三条実美、37歳
右大臣岩倉具視、49歳
と、
西郷隆盛、47歳
副島種臣、46歳
大久保利通、44歳
大木喬任、42歳
江藤新平、40歳
そして、30代の
板垣退助、大隈重信、後藤象二郎ら
参議8名である。

反征韓論派、大久保利通の
『征韓策をとれば国家は滅亡する』
との論旨に誰もが駁論できなかった。
が、西郷のみは不死身であった。

結局、結論が出ぬまま日が暮れた。

明治6年10月の廟議(閣議)は、
征韓論派と非征韓論派との激突であった。
(右へ続く)


左から続く

最後の決着をつける廟議の前日、
10月22日、
征韓論派の福島種臣、江藤新平、
板垣退助ら参議は、
西郷を誘って、右大臣(太政大臣代理)の
岩倉具視屋敷へ乗り込んだ。

岩倉は、
『予は予が見たるとうりの廟堂の
実情を君主(天皇)に対し
開陳し奉り、しかるのちに
予の責任において予の意見を奏上する』
と・・・。

江藤の
『卿の意見とは?』との問いに、
岩倉は
『予の意見は、諸卿とやや異なっている』
と・・・・。

この瞬間に、
西郷の征韓論は敗れた。

4人の参議は憤然として席を立ち、
玄関を出るや、西郷は他の3人を
顧み、一笑して、
『右大臣、よく踏ン張り申したな』と
いったという。

西郷はこの時、自分の政治的敗北を
認め、全てをすてて故郷鹿児島に
帰ることを決意した。




No.130  2008年8月下旬号 (8月30日発行)     写真はクリックで拡大

RC ヘリ 講座 (17)

スタビライザー


(写真左がEPキャリバー400、右がSRB Quark)

ラジコンヘリの操縦は、ある意味で、実機のヘリの操縦よりも難しいといわれる。

機体を安定させて操縦するには、
機体が左に傾けば右に舵を切り、右に傾けば左に舵を切り、
前に傾けば後ろに舵を切り、後に傾けば前に舵を切ることが必要である。

実機の場合、操縦者(運転手)が機体に乗っているために、
機体の傾きを操縦者が自分の身体で感じ、操縦に少し慣れれば無意識に
機体を安定させる舵を切ることができる。
これは、二輪で走るあの不安定な自転車が、慣れれば無意識に運転できることと同じである。

ラジコンの場合、機体の傾きは、地上からの操縦者の目視での確認であるために、
傾きの程度がわかりにくく、操縦を難しくしている原因である。

ラジコンヘリについているスタビライザーは、
すこしでもラジコンヘリの操縦を優しくするための装置で、
実機にはない構造である。

スタビライザー(Stabilizer 安定装置)は、
スタビライザーバーの両端に、重りとなるスタビライザーブレードが取り付けられ、
マスト(出力軸)によって、ローターと共に回転しているが、
スタビライザーバーは上下にフリーとなっているため、マストやローターが傾いても、
回転時の遠心力により、スタビブレードは常に水平面での回転に戻ろうと動いている。

この動きをピッチロッドによってローターへ伝へ、ローターのピッチ角を変化させ、
機体の傾きが水平に戻るようにコントロールしている。

このスタビライザーによって、
ラジコンヘリの飛行姿勢が安定し、操縦が容易になっている。

次回に続く。

本(半X)
編集後記とWhat's New

翔ぶが如く(4)

司馬遼太郎著

文春文庫

(株)文藝春秋

西郷隆盛の征韓論は、
大久保利通らの反征韓論に破れた。
参議を辞職した西郷は、
故郷の鹿児島で、日々、狩人の生活である。

しかし、東京で西郷を慕っていた
軍人や官吏達は続々と職をすてて
鹿児島へと向かっていった。

もとの司法卿・江藤新平も
明治新政府に愛想をつかし、
佐賀で叛旗をひるがえした。
佐賀の乱である。

しかし、迅速に動いた大久保によって
江藤は捕らえられ、乱は静まったかに
見えたが、明治政府に対する
不平分子のエネルギーは
爆発寸前であった。

この反政府エネルギーを
すこしでも抑えようと、大久保らが
考えたのが、征韓論に変わって
台湾を討とうという征台論である。

明治7年5月
隆盛の弟・陸軍中将西郷従道を
長とする征台隊が長崎から出港した。


そろそろ刈取


5月16日に田植した(写真上)稲が
もう黄金色に色づいてきた(写真下)。

今年は晴天が続き、
今のところ台風もなさそうなので、
稲の生育もまあまあの様である。

しかし刈取を前にして、お盆の頃までの猛暑が
うそのように、毎日雨模様の日が続いている。

田の乾きが悪いと、機械(コンバイン)刈りが
難しくなるため、心配している。

天候の回復を祈っている。