第一巻
今、吉川文学に凝っている。前の三国志に続いて、今旬からは水滸伝である。
時は、今から900年前の、中国は宋朝の時代である。
石窟の中に閉じ込められていた百八ツの魔星が地上に踊り出て、
その一星一星が人間と化して梁山泊をつくり、天下を揺さぶる。
腐敗した世にはとけこめない、奇骨異風さまざまな好漢(おとこ)どもが、
権力に立ち向かう様の描写は、とにもかくにも面白い。
下は第一巻を構成するドラマの章のタイトルである。
此れを見れば、なんとなく、この小説の雰囲気がわかるのではないかと思う。
序曲、百八の星、人間界に宿命すること。
鞠使の幸運は九天に昇り、風流皇帝の徽宗に会うこと。
教頭の王進、追捕をのがれ、母と千里の旅に落ち行く事。
緑林の徒の涙を見て、史進、彼らを再び野へ放つこと。
史進、家郷をすてて渭水に奔り、魯提轄と街に逢うこと。
あしたに唄い女翠蓮を送って、晩霞に魯憲兵も逐電すること。
蘭花の瞼は恩人に合って涙し、五台山の剃刀は魯を坊主とすること。
百花の刺青は、紅の肌に燃え、魯和尚の大酔に一山もゆるぐ事。
花嫁の臍に毛のある桃花の里を立ち、枯林瓦缶寺に九紋龍。
菜園番は愛す、同類の虫ケラを。柳蔭の酒延は呼ぶ禁軍の通り客。
鴛鴦の巣は風騒にやぶられ、濁世の波にも仏心の良吏はある事。
世路は似たり、人生の起伏と。流刑の道にも侠大尽の門もある事。
氷雪の苦役も九死に一生を得、獄関一路、梁山泊へ通じること。
無法者のとりで梁山泊の事。ならびに吹毛剣を巷に売る浪人のこと。
青面獣の楊志、知己にこたえて神技の武を現すこと。
風来の一怪児、東渓村に宿命星の宿業を齎すこと。
寺子屋先生『本日休学』の壁書をして去る事。
呉用先生の智網、金鱗の鯉を漁って元の村へ帰ること。
六星、壇に誓う門外に、また訪れる一星のこと。
仮装の隊商十一梱、青面獣を頭として、北京を出立する事。
七人の棗商人、黄泥岡の一林に何やら笑いさざめく事。
『生辰綱の智恵取り』のこと。並びに、楊志、死の谷を覗く事。
二侠、二龍山下に出会い、その後の花和尚魯智深がこと。
目明し陣、五里夢中のこと。次いで、刑事頭何濤の妻と弟の事。
耳の飾りは義と仁の珠。宋江、友の危機に馬を東渓村へとばす事。
第二巻
水滸伝はとにかく面白い。
その面白さを、私のつたない文章力では紹介できないのが残念である。
しいていえば、昔見た映画、南総里見八犬伝のような面白さである。
例によって、第二巻を構成するドラマの章のタイトルを紹介しよう。
タイトルにもあるように、やわらかい話も適度に含まれていて楽しい。
秋を歌う湖島の河童に、百舟ことごとく火計に陥つこと。
林冲、王倫を面罵して午餐会に刺し殺すこと。
人の仏心は二婆の慾をよろこばせ、横丁の妾宅は柳に花を咲かせる事。
女には男扱いされぬ君子も、山野の侠児には恋い慕われる事。
悶々と並ぶ二つ枕に、蘭燈の夢は闘って解けやらぬ事。
ふと我に返る生姜湯の灯も、せつな我を失う寝刃の闇のこと。
地下室の窮鳥に、再生の銅鈴が友情を告げて鳴ること。
宋江、小旋風の門を叩くこと。ならびに瘧病みの男と会うこと。
景陽岡の虎、武松を英雄の輿に祭り上げること。
似ない弟に、また不似合いな兄と嫂の事。ならびに武松、宿替えすること。
隣りで売る和合湯の魂胆に、簾もうごくけしの花の性の事。
色事五ツ種の仕立て方のこと。金蓮、良人の目を縫うこと。
梨売りの兵隊の子、大人の秘戯を往来に撒き散らすこと。
姦夫の足業は武大を悶絶させ、妖婦は砒霜の毒を秘めてそら泣きになくこと。
死者に口無く、官に正道なく、非恨の武松は訴える途なき事。
武松、亡兄の恨みを祭って、西門慶の店に男を訪う事。
獅子橋畔に好色男は身の果てを砕き、強欲の婆は地獄行きの木馬にのること。
牢城の管営父子、武松を獄の賓客としてあがめる事。
蒋門神を四ツ這にさせて、武松、大杯の名月を飲みほす事。
城鼓の乱打は枯葉を巻き、武行者は七尺の身を天蓋へ托し行くこと。
緑林の徒も真人は喰わぬ事。ならびに、危かった女轎のこと。
花灯籠に魔女の眼はかがやき、又も君子宋江に女難あること。
待ち伏せる眼と眼と眼の事。次いで死林にかかる檻車のこと。
秦明の仙人掌棒も用をなさぬ事。ならびに町々三無用の事。
弓の花栄、雁を射て、梁山泊に名を取ること。
非心、長江の刑旅につけば、鬼の端公も気のいい忠僕に変わること。
死は醒めてこの世の街に、大道芸人を見て、銭をめぐむ事。
葦は葦の仲間を呼び、揚子江の『三覇』一荘に会すること。
根は、みな『やくざ』も仏心の子か。黒旋風の李逵お目見えのこと。
第三巻
いよいよ、梁山泊には一騎当千の百八人の豪傑どもが、続々と集まりかけてくる。
例によって、第三巻を構成するドラマの章のタイトルを紹介しよう。
このドラマの雰囲気を感じてほしい。
雑魚と怪魚の騒動の事。また開く琵琶亭の美酒のこと。
壁は宋江の筆禍を呼び、飛馬は『神行法』の宙を行くこと。
軍師呉用にも千慮の一矢。探し出す偽筆の名人と印刻師のこと。
一党、江州刑場に大活躍のこと。次いで、白龍廟に仮の勢揃いのこと。
大江の流れは奸人の血祭りを送り、梁山泊は生還の人にわき返ること。
玄女廟の天上一夢に、宋江、下界の使命を宿星の身に悟ること。
李逵も人の子、百丈村のおふくろを思い出すこと。
妖気、草簪の女のこと。怪風、盲母の姿を呑み去ること。
虎退治の男、トラになること。ならびに官馬八頭が紛失する事。
首斬り囃子、街を練る事。並びに、七夕生まれの美女、巧雲のこと。
美僧は糸屋の若旦那上がり。法事は色界曼荼羅のこと。
秘戯の壁絵もなお足らず、色坊主が百夜通いの事。
友情一片の真言も、紅涙一怨の閨語には勝らずして仇なる事。
薊州流行歌のこと。次いで淫婦の白裸、翠屏山を紅葉にすること。
祝氏の三傑『時報ノ鶏』を蚤に食われて大いに怒ること。
窮鳥、梁山泊に入って、果然、ついに泊軍の動きとなる事。
不落の城には振るいとばされ、迷路の間では魂魄燈のなぶりに会うこと。
二刀の女将軍、戦風を薫らして、猥漢の矮虎を生け捕ること。
小張飛の名に柳は撓められ、花の戦士も観念の目をつむる事。
牢番役の鉄叫子の楽和、おばさん飲屋を訪ねてゆく事。
登州大牢破りにつづき。一まき山東落ちの事。
宋江、愁眉をひらき。病尉遅の一味、祝氏の内臓に入りこむ事。
百年の悪財、一日に窮民を賑わし、梁山泊軍、引揚げの事。
宋江、約を守って花嫁花婿を見立て。『別芸題』に女優白秀英が登場のこと。
木戸の外でも猫の干物と女狐とが掴み合いの一ト幕の事。
蓮咲く池は子を呑んで、金枝の門にお傅役も迷ぐれこむこと。
狡獣は人の名園を窺い。山軍は泊を出て懲らしめを狙うこと。
第四巻(終巻)
新・水滸伝もいよいよ終巻である。
梁山泊には百八の魔星がここに揃い、中央の官軍との戦いが始まろうとするところで、
この小説は終わっている。
このとき、吉川英治氏は起居も不自由なほどに衰弱されていたという。
吉川英治氏の作家生活最後となったこの小説の、
最後の本文三行を引用させていただく。
『ここ梁山泊の浅春二タ月ほどもめずらしい。泊中はなんとも毎日なごやかで、
水塞に矢たけびなく、烽火台に狼煙の音もしなかった。しかし、中央から地方へかけて
官軍のうごきは、決して万里春風の山野、そのままではなかった。』
例によって、終巻を構成するドラマの章のタイトルを紹介しよう。
官衣の妖人があらわす奇異に、三陣の兵も八裂の憂目に会うこと。
羅真人の仙術、人間たちの業を説くこと。
法力競べの説。及び、李逵を泣かす空井戸のこと。
禁軍の秘密兵団、連環馬陣となること。
さらに注ぐ王軍の新兵器に、泊軍も野に生色を失う事。
屋根裏に躍る‘牧渓猿’と、狩場野で色を失う徐寧のこと。
工廠の槌音は水泊に冴え、不死身の鉄軍も壊滅去ること。
名馬の盗難が機縁となって三山の怪雄どもを一つにすること。
三山十二名、あげて水滸の賽へ投じること。
木乃伊取りが木乃伊となり、勅使の大臣は質に取られること。
喪旗はとりでの春を革め、僧は河北の一傑を語ること。
売卜先生の卦、まんまと玉麒麟を惑わし去ること。
江上に聞く一舟の妖歌「おまえ待ち待ち芦の花」。
浪子燕青、樹上に四川弓を把って、主を奪うこと。
伝単は北京に降り、蒲東一警部は、禁門に見出される事。
人を殺すの兵略は、人を生かすの策には及ばぬこと。
はれもの医者の安先生、往診あって帰りは無い事。
元宵節の千万燈、一時のこの世の修羅を現出すること。
直言の士は風流天子の朝を追われ、山東の野はいよいよ義士を加える事。
百八の名ここに揃い、宋江、酔歌して悲腸を吐くこと。
翠花冠の偽せ役人、玉座の屏風の四文字を切り抜いて持ち去ること。
徽宗皇帝、地下の坑道から廓通いのこと。並びに泰山角力の事。
飛燕の小躯に観衆はわき立ち、李逵の知事服には猫の子も尾を隠す事。
|