7. 義母の短歌                       2005年2月記     

義母の短歌


(写真は手製の歌集)

義母(家内の母)は今年81歳である。
天気が良ければ、家の回りの畑の花の手入れや、山菜料理つくりと元気である。

その義母が平成4年から短歌を作り始め、綾部の『礁 短歌会』へ入会、
平成9年には馬場あき子氏主宰の『花林の会』に入会し、
毎日、三十一文字の歌つくりに励んでいる。

惜しむらくは、我々には歌心がないばかりに、
せっかくの歌もよき理解者となりえていないのが残念である。。

願わくば、ここに公表することによって、世の歌心のある人達の目に留まり、
読んでいただければ幸いである。




四分の 三の人生 越え来たり 明日食ぶる一合を きしきしと砥ぐ

(平成五年度第7回中丹文化芸術祭 知事賞)


物体の ごとく伸びいる 脚四本 工夫は昼を 深く眠れり
(平成六年度第8回中丹文化芸術祭 知事賞)


働けと 親のさずけし 手のひらの 熱きに今日も にぎる鍬の柄
(平成十二年度第11回綾部短歌大会 市長賞)


橋ひとつ 渡れば海の 匂いして 海ねこ白き 腹ひるがえす
(平成15年度上田三四二賞)


耕運機の 爪を知らざる 痩せ畑 わが打つ鍬に 膨らみ光る
(平成十六年度第16回綾部短歌大会 文化協会長賞)


子育てに 髪乱れても 行儀には 厳しかりしよ 夢に笑む妣
(京都新聞社賞)


このほかに、これまでに作った歌は数千首になるものと思われる。
歌林の会発行、月間歌誌『かりん』に掲載された歌、378首を、
下記に記載する。


 
空の青さに        梁 未沙(松本みさ枝)

No.1~No.20

   纏うもの なべて脱ぎたる 真裸の 夕陽みずからの 茜に浮けり



昼間みし 蝶が大きく 夢にきて 貌とも言えぬ 貌が嗤えり



足裏に 隠れる程の 溜まり水 空青ければ 青きを映す



わが墓に 花挿しながら 言うだろう 『騒々しい お母ちゃんだったな』



腹筋の 躍動おろか こみ上ぐる こんな笑いが 残っていたか



猫が貌を 洗うと人の 言うなれど たまには泪を 拭くかも知れぬ 



水餃子 ぷくりぷくりと 浮き上がり 参りましたと 掬われている



『ギャッ』と啼く 狐の鋭き ひと声に 刺されし野径 日昏のおどろ



直角に 流れの変わる ひと処 水も憩いの ひと時を持つ



泥のつく 軍手ずぼっと 脱ぐ指の 軽さよ魚の ごとくに動け
 



   媚びるなく 振り返るなく 冬野ゆく 老い猫まさしく わが影宿す



水族館の 魚の孤独に 逢いたくて ひとりゆくなり 尾鰭なきわれ



大空に 向かい指にて 描きみる 隙間だらけの 空という文字



風は初夏 残り椿の 一輪が 北にむかいて ぱっちり開く



風が啼く 高きに低きに 風が啼く 声を掛け合う いち人欲しき



鈴つけし 猫よりひもじさ 怺えいる 媚びることなき 野猫親しき 



わが野良着に つき来し虫よ 群れ離れ 生きると言うも たやすくあらず



『いのししの 見残す筍 食っている』と 里人のどかに 呵々と笑えり



世に立たん 鎧を脱げば 飄々と 吹かるる落葉の 軽さにいたり



てのひらを 持つ風が吹く 柿の葉は 触られたくて ざわめきやまず





 No.21~No.40

吹く風に けしの実悠々 ゆれいたり もはや人の目 惹く色持たず



突然死の ごとく知られず 枯れいたる もみじのさみしさ 他人事ならず



脱走の 本能はげしく ゆるる午後 茹でいる卵の 音痛ましき



乳母車 押して子供を 遊ばせし 思いで持たぬ 母なりわれは



返事して 呉れる人なら 誰方でも とはゆかなくて 酒の座を立つ



 枯茎の 二尺に足りぬを 登りつめ 下りられなかった 毛虫の木乃伊



親子とて 言いたき放題 言えもせず 完熟トマト 潰されいたり



 前の世は 仲間であった かも知れぬ 我を見ている 魚の目玉



 みみずにも 生きて楽しき 瞬ありや 目も耳もなく 闇をうごめき



わが脛を 樹木と紛うや 蟻ひとつ 登り下るを 暫しは許す
 


見の限り 人影のなき 野に聴けり 谺とかえる 鴉の声を



恙なく 生きて生ごみ 捨てにゆく 髪乱す風 なまぬるき夕



思いでは 仄かに白き 帆を張りて 眠りに落ちん 狭間にゆるる



存在を 示すがごとき 古き杭 わが触れし瞬 ころり倒れき



山鳩の 真夜中ひとしきり 啼きたつるは 子鳩に死なれし 母かとおもう



野良猫に なりきれずいる 迷い猫 生きる道問う 生きものの声



宿命の あごまだ稚き かまきりの すんなりたたむ 羽美しき



抵抗も なく捨ててゆく 夢幾つ 生きゆく荷物は 軽きがよろし



定着の 土を選ばぬ 風媒の バーベナ空地に 自が春謳う



海越えて 来たるバナナの 値の安さ 東南アジアの 汗が臭えり





 No.41~No.60
   
椿の実 捥ぐに惜しき 艶持てり 椿の意思に 任せ置かんか



現実が 夢に続きて 握りいる 双の拳の ままに醒めゆく



紅葉を 急ぐまゆみよ 陽は高し それ程急いで 先があるのか



雑草に 混じるトレニア 今少し 背伸びして咲け 思いを遂げよ



打ち返す 芽生えしばかりの 草の根の 白く長きが ほぞの緒に似る



生きものを 飼わぬひとりの つれづれに 鴉の歌を 今日も詠みける



用済の 壜の大小 それぞれの 分限の空気 溜めて煌く



ジョギングの 男霧分け 現れて 濃霧の壁を 額で押しゆく



壷の中の 小さな闇の 囁きを そのまま閉し 買うことにする



見るまじき 鴉の秘密か 開し口 喉の奥まで 赤く妖しき



もの言わぬ 石に腰かけ 体熱を 奪われている だぁーれも来ない



ひそやかに 呟くごとき 煮豆の火 闇にしんしん 冬迫りつつ



『ありがとう よくぞ丈夫な 歯をくれて』 突然息子が 真顔をむける



乳牛の 滝なすゆまりに 仰天し 奇声を上げる 街の子供等



サングラス 外せば童顔の 孫なりき ナナハン駆りて 墓参に戻り来



幾曲り 曲るも車の 正面に 新生児のごと 赤き満月



トラックに 頭を垂れて 牽かれゆく 眠れる獅子か ユンボの巨体



積まれいる 廃車のミラー 耳に似て それぞれの過去 聴きいる象



男なら 屋台の酒に 憂さ晴らす 夕べをきこきこ 鍋磨きいる



半熟の 卵のような 気だるさを 吹き飛ばしたり 冬の晴天




 No.61~No.80
   
子等去りて 畳は広き 寒の入り 霧降るごとき うすら寒き狐



回礼の 和尚の足許 軽やかに 白足袋ならぬ 白スニーカー



巣立ちたる 孫に貰いし 年玉の 袋楽しむ 老いとなりけり



古びたる でんでん太鼓に 残る玉 片割れながら われも弾めり



職につく 乙女の如く 淡々と 嫁ぎしわれよ 十九の春に



かまどの火 燃えぬ焦りに 泪ぐむ 夢は十九の 花嫁のわれ



テレビ消し 灯りを消して いまひとつ 消さねばならぬ 昼の雑念



坪庭を 耕し俺が 育てしと 京より甥が ねぎ提げて来る



父の墓 京都に建てると 甥は告げ 人を恃まぬ 男の目なり



もしかして 郵便受けを 探る指 釣れぬ釣糸 手繰るに似たり



小屋代り 物置代りの 廃車バス 錆びてほろほろ 過去を消しゆく



昭和七十四年に満期の 保険あり それまで私の 昭和は続く



飽食の 寺の黒猫 金いろに 光る目細め 煮干をまたぐ



「人生は 渋くて辛くて いやなもの」 頷きうなずき 鴉が歩む



三分咲き 五分咲き満開 花吹雪 一気に春が 駆け抜けてゆく



かなしみが 沁み入るような 春の雨 新芽つたいて 幹濡らしゆく



肩よせる 肩が欲しいと 思う日の 心機一転さくら 見にゆく



ひとりなる われに今日あり 明日あり 花の開くを 待つばかりなる



鍵っ子に 似たる思いの ひとり食 納豆いつまで 掻きまわしいる



府道逸れ 谷川一キロ さかのぼる 何もなけれど わが桃源郷




 No.81~No.100

   谷深き 一軒家の 老い恙なく あるらし今日も 煙が上る



鍵穴に カギさししまま 友は留守 風のどかなり 静けさはます



乳牛と 共に餌食む 仔狸に 罠仕掛けるなと 嘆く牛飼い



農繁期 過ぎたる野辺に 人気なく どこかで杭を 打つ音がする



小鍬も て耕し終えし 荒畑の 土の温もり 手に掬いみる



杉山に 闇溜りいて 青白き 山蒟蒻の 花妖しげな



地を這う風 踏み越え走る 野良猫が 何思いしか はたと振り向く



物置の 古びし農具に どくだみが 戸の隙間から 夏を告げいる



湯上りの 赤子のような 歌が好き 泣くも笑うも 天衣無縫に



たじろげる われに微動も せぬ蟇は 瞼ゆっくり 開きてとざす



「母ァ母ァ」と 騒ぐな子鴉 お前とて いまにひとりで 生きねばならぬ



明日のなき アメリカ芙蓉 惜しみなく 燃す情念の ほむらひとしお



閣僚の 顔ぶれ並ぶ 新聞に 蜜したたらせ 白桃を剥く



まゆごもる 山蚕のみる 夢青からん その小世界 ひとり居に似て



零余子 はや色づきそめし 山の幸 誰と食まんか 草刈り残す



血も流さず バッタバッタと 悪を斬る 将軍吉宗 今世にあらば



手の泥を もんぺにこすり 捥ぎくれし 日昏れのトマト 熱溜めいたり



逃げるなど とても出来ない かたつむり その道ゆくな 車が通る



やせこけし 母の乳首を 奪い合う 仔猫の尻尾 なぜか天向く



竜の髭 丹念に抜く わが仕種 人は嗤えど 茶の木がよろこぶ





No.101~No.120 

  枯葉にも くすぶる想いの あるものか 容易く灰に なると限らず



幸せは この位で良し ポケットに 零余子一杯 心が温い



人といて 水に油の 孤独感 ひとり草引く 野に翳おとす



定年を 迎えし弟 乾ける砂 崩るるごとく 病魔に倒る



里人の 大半還暦 すぎている 村の祭りが 滅法明るい



酔うほどに 貴方もこなたも なくなりて 自治会長が 叩かれている



乾燥機 低く唸れり 秋祭り 終わりし里の たゆき静けさ



二度までも 風雨に倒れし コスモスの 咲かねば終れぬ 花の小さし



羽化出来ぬ 蛹のごとき 焦り持ち 雨降り止まぬ 窓見据えいる



手の窪に 乗せて食べよと 差し出だす 紫したたる 茄子の浅漬け



なめらかに 老いは来たらず 逆縁の 柩にさか立つ わがばさら髪



子を生さず 妻と二人の 濃きひと世 終えし弟 幸せなるべし



弟の 意思なき双の 指ほどき 骨もおれよと 一期の握手



旅立ちの 脚絆の紐の 蝶結び ほどけぬように ゆけよ弟



膝の骨 先ず拾いやる 黄泉路ゆく 歩みのせめて 恙なくあれ



物の怪の 漂うごとき 霧分けて 葬りもどりの 橋うつつなく



秋のあわれ さとりし貌の かまぎっちょ 淋しすぎるよ 枯色の羽



植木屋の 好みに刈られし 庭樹木の 新芽は新芽の 想いに伸びる



紅葉に 山ふくらみて ざわめくも 常緑の杉の 豊かさ静けさ



愛しまれぬ ことは承知の 濡れ鴉 贄を咥えて トタン屋根すべる




No.121~No.140 

  まく餌に 鴨も混りて 群るる鯉 飼われいるものの かなしき平和



降るやみと 地より沸くやみ 絡み合い 窓にはりつく ぬばたまの闇



「おふくろの 顔もむずかし なったよな」 子には届かぬ 老境の憂さ



漁終えし 舟が港に 憩うごと スニーカー並ぶ 正月の土間



紫に 山けぶらせて 降る雨に 塩ふる程の 雪の混りつ



人を見ず 昏れしひと日を 絵になせば うす紫の やわらかき靄



ひらがなの 文字ちらすごと 鴉とぶ 寒の日和の 空透きとおる



花ひらく たまゆらに会いし 心地なり つけしテレビの あき子先生
 


「お母ちゃんは じをようかかん さかいでな」 一通きりの 亡き母の文



冬日和 パジャマはしゃぎて 竿ゆらす 何ぞ良きこと ありそうな昼



雪曇り 三日の後の 晴天に 心はずみぬ 逢う人がある



何程の 飢え満たせしや 子連れ猪 みみずを掘りし 大穴いくつ



「此の空は 俺のもんだ」と 満天の 星に手を振る 息子の銀髪



夜の蜘蛛 音も立てずに わが影の 首すじよぎれば 心地良からず



初めより ひとりのごとく 野を守る われに近くて 遠き三人子



適齢期 どこ吹く風と 留学に 婚の資金を はたく女の孫



ニヒリズムの 息子が霊験 あらたかと 届けて呉れし 足のお守り



すっぽりと 眠りに落ちし 数分に 死界のやすらぎ 見たる気がする



破れ蓮の 茎なお墓標の ごとく立て 根は新しき 芽を育ている


脱ぎ捨てし 軍手に芽吹く 草の根の 網目貫く 生きの力よ




No.141~No.160 

  新世紀に 向けて建てたる モダンな墓 彼岸の陽射し 浴びて明るし



逢いみての 後の便りに 温みあり ときめき新たに また読みかえす



みずからに 充ちて落ちしか 瑞みずと 枝下範囲に 輪を描く椿



花散りて 結ぶ小梅の あまりにも 青く危うき 命のふふみ



無住寺の 仁王売られて 幾とせか 厳つき門に 舞う花吹雪



争いの 絶えぬ地球を 見下ろして 手の打ちようも ないお月さん



鯉幟りも 祝ってやれず 生い立ちし 息子の息子に 良き嫁決まる
  


八十年 生きしが人生 ばら色と 媼言いけり 頼もしきかな



エアメール フランスへこれで 届くかと 郵便局にて 念押しいたり



媼われが フランスへ電話 かけるなど 丹波山家に 文明の風



またひとり 孫が印度へ 渡るという 生水飲むな 弾にあたるな



竜の髭 刈ればとびだす 青い実が 同じ青さの 空をみている



騙すなど ゆめ思わねど わがともす 点滅灯に 蛍群よる



猿のボス 交通安全 確かめて 群渡すとぞ 聞きて畏るる



傍らに 草引く媼を 恃みとし 枯枝の山 燃やし終えたり



「鹿が獲れた 焼肉するから 食べに来よ」 お茶にでも 誘うように男等



遠き日の 夢が残って いるようで ラムネの空瓶 捨てる気がせぬ



助手席に 買い物袋 座らせて 残生温しと 言わねばなるまい



青白き 山蒟蒻の 花の寂び 惹かれてやまぬ われも山姥



人ならば 如何なる策もて 抗議せん 巣を暴かれし 蟻のふためき




No.161~No.180 

  横に這う 白煙しろ熊 はた馬に そぞろ麒麟と なりて昇れり



青年期に いまし移らん 子鴉の すんなり伸びし ぬばたまの羽



大空の 汗かと手に受く 天泣の 土まで届かぬ 程の湿りを



媼われを 「みぃちゃん」と呼ぶ 七歳の まなこに映る われは何者



盆明けの がらんと広き 土間隅に 発火しそうな 消火器とわれ



夏百合の 花びら抜け落ち 魂の ごとき雌蕊が ギラリと光る



釣人の 忘れてゆきし 白タオル 河原柳に 揺れて夏去ぬ



「おばちゃんが あんまり草を けずるから 生きてゆけぬ」と 野蕗が歎く



捌きしは 里の男衆 焼かれても なお鹿肉に 産毛光れり



エアメール 寿司食いたしの 文字載せて インド寺院の 絵ハガキ届く



血の絆の 紐はゆるめになど 思う咲く ポーチュラカの 色もさまざま



ポーチュラカと 揚羽とわれと 絵の中の 静けさにいる 空は真っ青



五十メートル 以内に人の 気配あり 声のかけらが 木の間縫いくる



獣の皮 剥ぐ無惨さよ トタン屋根 捲くるユンボの 容赦なき爪



出てこない キイより己が 度忘れの いまいましくて ただ虚しくて



大島ゆ 男孫の土産 椿油 もったいなくて 見ているばかり



短足の 蜘蛛の抱える ボールペン 丸木の橋を 渡る危うさ



県名を 北から順に 寝ね際の 脳に広げる 列島の地図



ゆらりゆらり ルームミラーに 消えてゆく 山路は還らぬ 過去世に似たり



山間いの 空狭けれど 藍深し テロも不況も 拘りなくて




No.181~No.200 

  咥え来し 柿の実転かし 胸を張る 鴉よ汝れも ひとりぽっちか



みみずかと 一瞬思いし 蛇の子の 消えし草むら 温とくあれな



引力に 逆らいガラス戸 這い登る 雨蛙の指 生きものの指



抗がわず 慣らさるるなく 生き延びし わが根性を われはいとしむ



紅葉の 山ふくらみて 輝けり 何もて飾らん われの終焉



かたくなに よろえるごとき 石榴の 実ふいに弾けて さらす真実



十三夜の やわき光りに 誘われて 十歩二十歩 踏む柿落葉



山里が 好きで綾部に 腰据えしと ノルウェー製の ストーブ炊く人



永年の 愛顧を謝すと 雨の午後 閉店告ぐる 封書が届く



宿無しの 仔とは知らずに 生まれ来し 仔猫の住みつく 床下の闇



ひっそりと 春待つ昆虫 眠りいる 芒ヶ原に 沁む夕明り



春夏秋 同じ服着て 鳥追いし 案山子の脚が 今燃えつきる



通行止めの 文字むっつりと 道塞ぎ 陽は高かれど 里径寒し



万両の 木に爪立てる 空蝉の 生きあるごときを そのまま活ける



左手を 添えて菜を切る 左手は 何につけても 欠かせぬ伴侶



賑わいの 後の虚しさ 捨てにゆく ビールの空缶 あまりに軽し



てのひらの 水洩るごとく 子等去りし 畳に積まれし 座布団の嵩



福寿草の 株切り分けて わが臓器 与えるごとく 子に持たせやる



立枯れの 老木ほろほろ 崩れゆき 煩悩消えし 小枝を散らす



雪ん婆の 慈悲かも知れぬ 雪被る 庭木もわれも 昼を眠れり





No.201~No.220 

  立ちみれど 為さねばならぬ 何もなし ひとり通れる だけの雪掻く



追儺の 豆に追われて 逃げる鬼でもいい われと遊べや 酒酌み合わん



三月の 予定の光る ひとところ 「あき子先生 來迎」の花まる



胸朱き 小鳥芝生に 遊べるを あずかりものの 景かとぞ見る



釣の趣味 あらねど冬の 川底に 動く小魚 みつけてたのし



昼暗き 杉の谷径 ひたひたと 竹樋つたう 山水の音



美しき 空壜出窓の 片隅に 光を溜めて 立つがかなしき



カルシューム 補充に食ぶる 干エビの 芥子粒程の 目に刺されいつ



餌を食む 外なきさびしさ 乳牛は 瞬きもせず にれがむばかり



鹿の鳴く 声聞きしよと 言う声に 俺もわれもと 山里なれば



仏より わが目が喜ぶ 水仙の 黄に仏壇の 明るむを見て



くねくねに よじれし心に コート着せ アクセル踏めば われは別人



空壜の ラベル剥がして 一輪の 残り椿を ひとりの華に



「早く来な」 わらびが呼ぶから ゆかなくっちゃ 野のものなべて われに良き友



木の芽摘む 手にとびのりし 雨蛙 一瞬ひやり 死者の冷たさ



喜んで ばかりも居られぬ 開発の 都合で広らに なりし里径



いねぎわの 心のまほらに わらべうた 唄うは母か はたまたわれか



初夏の 山傾く日ざしに きらめきの 彩をたためり 山も眠るか



いとけなき 鈴蘭草より 救い出し ともに仰げり 紺碧の空



刈り草に 腰を下ろして 憩う間も 時はじんじん われ置きてゆく




 No.221~No.240

  うつつには 遠き夢みし あけぼのの 耳くすぐりし あの声は誰



天界の 荒れ事知れとか 癇癪玉 弾けしごとく 雷とどろけり



姥捨ての 言葉残れど いにしえも 男は短命か 爺捨聞かず



鍬先に 塒追われて 身ひとつの 軽さに走る 百足の転居



古縄の ごとくとんびに 攫われし 蛇空中で 何思いいん



丹精の 花の開くは 巣立つ子を 送るに似たり 咲くまでが華



わが疎む どくだみ鉢に 愛ずる子と われの生きとの 小さなひずみ



何をして いてもゆらゆら 揺れやまぬ 厄介者を 心と呼べり



とおい日も こんな淋しい 雨をみた だあれも居ない 黄昏の庭



こわこわに 乾きしタオルの 感触を 無骨な愛の ごとくよろこぶ



芥子坊主 河童の頭に 似たる実が ぷるんと揺れて 種こぼしけり



ゆく雲に 溜息ひとつ あずけ置き 羽の破れし 蝶を見守る



抱き上げる 手にひしひしと 血の温み ひ孫に聞かせる わが子守唄



来年は 花になれよと 蜩の亡骸花の鉢に埋める



雷神と 雨の女神の 道行の ごとき夕立 庭濡らしけり



丹念に 笹の根を掘り 千草抜く その時それは 私のすべて



かたくなに 独りを通す 田舎家に 姥捨山の 秋の風たつ



礼服を まとえるごとく 乱れざる 蝉のむくろを 裏がえしてみる



天粕を 抱えて動かぬ スーイッチョ その皿二日 洗えずにいる



目の捕え 手の届かざる 零余子づる ぷらりぷらぷら 実を泳がせる




No.241~No.260 

  梅もどき 小さき乍ら 陽をかえし 真赤な秋を パチパチ謳う



対向車 避けんときりし ハンドルに すでに骸の 獣を又轢く



求め来し カサブランカの 球根を 姫を寝かせるごとく埋める



送るべき人 皆送りし わが軒に 燕のかえらぬ 古き巣ひとつ



もの憂げな 軽自動車に 「さァ今日は 大江山まで 連れてったげる」



霜月の 大江の山に 遭う蝶よ 汝れはも浮世 避けるひとりか



新世紀 何が変るか 変えなけりゃ 接骨院へ せっせと通う



何程の 食得たりしや 夕陽浴び 背な丸めいる 野良猫親仔



大江山 晴れゆく霧に いにしえの 鬼のたつきの 煙思えり



小さき旅 終えてくつろぐ わが家の 吸う息吐く息 なんぞやさしき



冬の雨 耳傾げれば 何時かまた 天へ帰ると 呟きつつ降る



欲得の うすれて寒き 胸に抱く 十三回忌の 夫の塔婆



わが植えし 山茱茰の実の 五つ六つ 持ちしことなき ルビーにまさる



名にし負う 丹波の霧の 白やみに 何も見えねば むしろ清しき



逞しく 母超え太る 雄仔猫 二ひきが母猫 はさみて眠る



うす雲に 遮られつつ 半月の もの言いたげに 光をこぼす



枯芝に 粉雪積る 白き音 空耳ばかりに あらぬ静けさ



身に叶う ひとつあれかし 鍛えたる 心骨抱きて 越えし世紀に



肅々と 越えし世紀に 段差なく 十年変らぬ 朝のトースト



雪怖し されど雨より やさしくて 金時豆は 鍋に踊れり





No.261~No.280 

  喉元に 言葉とならぬ 言葉溜め みどり児総身で くうくう笑う



大波小波 打ち合うごとき 正月の 騒音絶えて 聞く雨の音



七草に あらぬ湯豆腐 煮えたたせ ひとりに戻りし 静けさを噛む



雨靴と 日和の下駄を かたかたに 履きいるごとき 不安いっぱい



家中の 蛇口凍らす 氷柱神を やわやわ往なす 天っ陽の神



断水の 解けし蛇口を 迸しる 怒れるごとき 錆色の水



くすぶれる 冬の襤襛の 後影 春がわわわと 土割る気配



冬将軍 また舞い戻り 雪降らす ほんとは淋しい 鬼かも知れぬ



紺碧の 空を知らずに 闇に住む もぐらもときに 日向ぼこせよ



三月の どか雪むしろ 愉しかり 一気にほころぶ 木瓜のくれない



道楽で 歌は詠めぬと 身震ぶるいぬ 三ヶ島霞子の 歌人魂



走り去る 轍にとび散る にはたずみの 水がじりじり もとに戻り来



夕茜 背に負う猫の 耳透けり そんな切ない 目をしてくれるな



姥捨の しきたり今なお ありとせば その山活きいき 賑わうらんよ



上っ面の 言葉位で 掬えるか 底の知れない 人の心が



辛うじて 纏う心の 綺羅さえや 脱がせてしんと 高き残月



春をなお 暗く乾きて 枝に垂る はじけなかった 石榴の木乃伊



残りもの あっさり捨てて 洗う皿 何もなかりし ごとく光れり



どっぷりと 人に甘えし 覚えなく 鴉のえんどう ぐいぐい毟る



「十三年 経てばほんまに 仏やな」 父の墓前に ぼそりと息子




No.281~No.300 

 吹く風に 揺れつたわみつ 麦撫子  なよなよ伸びて 自が春守る



覚めて先ず 見る空模様 毎日が お日様まかせの 私の暮らし



二とせ余 異国にありし 孫帰り まずすき焼きが 食べたしと言う



嘘のない 人生なんて あるものか 狐の牡丹の 根が引き抜けぬ



億年の かけらを生きて 山里の 空気うましと 足りて終るか



照る日あり 曇る日もある わが声を 脳の吐息の 色と思えり



上品に ひとつ咲くより わっと咲く 中輪のばら われに親しき



野の猫と 対き合い長く 屈みいる 初老の男の 背なの寂寥



しなやかな 夢に棘ある みそひとの 峠の坂道 必死に登る



水浅き 流れに跳ねる うろくずの 光る命に 目を凝らしいる



平和とは こんな象か こんもりと 合歓の花咲く 桃色の蔭



茗荷の子 探す繁みに にっと笑む 不登校児の ような紅茸



夕立を ざんざん浴びて 甦る もう後のない 紫陽花の毯



衰えて 忘られゆくを 諾えり 色失いし あじさいを伐る



羽化遂げし 蝉がじわじわ 羽ほどき 命整う までの四時間



水底の 小石がゆく水 見るように 聴いているなり 若者の声



侘しさと ひとりの自由を 天秤に かければ孤独の 重い盆明け



秋冷えに 鴉も啼かぬ 静けさを 宥めるごとき 炊飯器の湯気



杖捨てて 逢いたかったと 手に縋る 媼座らせ 盛る零余子飯



夜目遠目 花は素直に 愛ずるべし 来し方秘める 蔭は覗くな





No.301~No.320 

  羊歯ゆらし 麻黄の葉ゆらし 竹ゆらす 風の連れ来し 肱笠の雨



子の来ると 報せにそぞろ 指はずみ 炊く零余子飯 南瓜の甘煮



天を指す 祈りの象の 杉が好き 拘りすてて すんなり生きん



あやされいる 思いしきりに 二時間の 老人講座 むっつり過す



百年を 経たる古家を 砦とし 声の届かぬ 家霊と住める



耳聡き ひとりの昼の 静けさや 検針の人 声もなく去る



生なまの 正義派なりしが だんまりを 保身のひとつに 加えて老境



なんでこう 秋は心の 急くものか 明日なきさまに 散る柿落葉



まなさきの 弱肉強食 けうとかり 仔猫の咥える 蛙が動く



かけし声 上滑りして 消えゆけり ひと桁若き グループの輪を



行商の 媼と何やら 氣の合いて 零余子と魚の 物々交換



用心に 持ち来し杖を また忘れ 「お客さーん」と 追いかけられる



バス停も ポスト自販機 いまだなき この素朴さに 足りて棲み古る



かまきりの あたら保護色 徒となり わが鍬先に あえなく果つる



絡まれし 木の痛みなど 知らぬげに 美男かずらの 実は輝けり



ぽつねんと 残るひとりの 客下ろし 空の終バス 奥山に消ゆ



待つことも 待たるる焦りも なきひとり 自由と孤独の 押しくらまんじゅう



噛み合わぬ 会話に黙し すかんぽの すいすい酸っぱさ 思い出しいる



企まねど おのず世渡り 上手となる シングルライフの それもかなしき



朝戸繰る 刹那の冷気 風花を まく雪ん婆が 峯を越えゆく





No.321~No.340 

  侘しさも 共に茹で上げ 煮つめたる 蕗の薹です 食べてみますか



瞼なき 魚の眠りを みてみたし 閑居の昼の 想い膨らむ



母と呼ばれ 半世紀余を わが経たり 育つ子に従き ともに育ちて



危うかる 来し方なべて 踏み石に 迎えし晩年 以外に温し



どんどの火に 爆ぜる稲穂の たまゆらの 白き痛みに 眉根ひそめる



夕ぐれの 静けさ夜空の 美しさ 年毎親しみ 増しゆく自然



湖底めく その静けさこそ 得難しとう 師の励ましの 文字に救わる



木には木の 旬あり霜置く 梅ヶ枝に 昨日より今日 膨らむ莟



かかりたる 罠を逃れし 心地かな 難解パズルの 解けし真夜中



里人の 念願なりし 永久橋 成りて下ゆく 水明るめり



足馴らしの つもりが夢中で 鍬ふるい 膝関節の 機嫌そこねる



電気治療 受ける窓より 今日も追う 一羽の鳶の 空載る行方



祖の想い こもれる畑を 守りきれず 原野に還さん 土に一礼



七日七夜 骸のままの 孤独死の 報せにじんと 背筋が痛む



向けられし カメラに手を上げ とっときの 笑顔を作る 十秒の嘘



杖なしに 歩める喜び 白蓮が 呼んでるようで 十歩二十歩



いくばくは 美化してつなぐ 追憶の 連想ゲームに 一喜一憂



身の用の 足りる間は ひとり住む 柵を逃れし 羊のように



春や春 明日を恃まぬ 恋猫の 声すさまじき 路地の夕ぐれ



華やかに 見えて何やら ものがなし 花はな華の 春のたそがれ





No.341~No.360 

  花吹雪 地に再びの 華置くに 雨よ叩くな 轍よ踏むな



恋の時季 忘れし猫が ぼってりと 太りし首の 鈴鳴らしゆく



するめいか 何辺の浜に 干されしや 平たくなりて わが手にさかる



かなしみを 言葉の器に 盛れなくて 人語通わぬ 草と対き合う



野のごみに 煙立たせて 今日と言う かえらぬ時に 終りを告げる



人の意に 添いて生くるを 良しとせず 抗うでもなく ひとり草引く  



先ず健康 鰯の頭も 信心から ドリンク飲みて 歌会へ急ぐ



利心の うするるとは言え 時折は 小首傾げる 人生そろばん



くたびれて 昼を眠れば 何恃む 心か空飛ぶ 夢に酔いいる



「お先に」と 断る要なき ひとり湯に 今日を支えし 手足を伸ばす



太陽の 分身おのおの 窓に受け 湧き出るごとき 対向車の列



温感なき 鈍光ともる トンネルの 長きを走る 背寒かりき



くちなわに 今ある喜び あるらしき 背筋躍らせ 草むらに消ゆ



張り終えし 巣より逆さに 天覗く 蜘蛛のみている 見えない明日



ほととぎす 啼く野にくぐまり 草を引く 敗者でもなく 勝者でもなく



轢死せる 蛇を包みて 道脇に 寄せいる人の 祈りのまなこ



揺れたわむ 竹に混りて そびえ立つ 一本杉の 孤独を愛す



疎開の子 呼び戻すごと 荒れ畑 耕し植えゆく 秋の草花



細りゆ く血脈に似る わが里の 道拡ぐると 立つ測量器



いささかの 冷たき毒持つ 歌好む 心の洞に啼く不如帰





No.361~No.378 

  難民の ごとくダンプに 積みこまれ 朽ちゆく外なき 農機具見送る



盆明けの 心の屈折 もてあまし がらんと広き 夜空仰げり



上向いて 歩けば小石に けつまずく 俯きゆけば 明日が見えない



いにしえゆ 農家の八月 大名の 超極楽の 昼のうたた寝



心地よき 空腹感あり 厨辺の 小窓はいまし 茜の坩堝



芋の葉に 宿る朝露 新しき 今日を映して 光をかえす



雨上がりの 舗装路ふみし 泥靴の 跡アリバイの ごとく残れり



こぼしたる ミルクに寄りて 動かざる 蝿の恍惚 見逃して置く



「おばちゃんの 味絶品や」と 煽てられ 素直にのるも 老いの世渡り



無から有を 生み出す文字書く 面白さ 食忘れても 歌やめられぬ



開発に 裂かれ赤肌 さらす山 哭く夜あらずや 冬はことさら



開発に 三たび移転の 六地蔵 こたびは屋根ある 祠得給う



鉦鳴らし 今日のあれこれ 告げおれど 応えかえらば 肝冷ゆるべし



七たびを 生れ変るなら そのひと世 川辺に遊ぶ 鳥もよからん



婉曲な 嘘のつけない 一本気 嬌めなばわれが われでなくなる



四分の三の人生越え来たり 明日食ぶる一合を キシキシと研ぐ 



物体の 如く伸びいる 脚四本 工夫は昼を 深く眠れり



橋ひとつ 渡れば海の 匂いして 海猫白き 腹ひるがえす