6.福知山温泉                           2004年2月記
 

1月31日
昨年の農業機械士養成研修の受講者が福知山温泉に集まり、同窓会が開催された。
21名中16名の参加があり、楽しい出会いであった。
仕事は違い、環境も異なるメンバーであるため、サラリーマン時代には経験できない
有意義な情報交換の場であった。
また次回の集まりを約した。

福知山温泉は、昔、福知山藩主・朽木綱貞候が老を養い、病を癒す霊泉水が湧くところ
として養老水と命名したところにある。
さびた庭、勇壮な門構え等、期待に反しないところであった。

舞鶴若狭道の福知山ICから約5分。


  7.観音寺大護摩大祭                     2004年2月記


冬の花・ロウバイが香る2月11日、
関西花の寺25ケ所の第一番、補陀洛山観音寺へ、大護摩大祭のお参りをした。

大護摩大祭は真言宗の僧13人と丹波神和会の山伏25人によって執り行われ、
般若心経が唱えられる中、護摩木に書かれた願い事を1本ずつ読み
炎の上がる護摩壇へ次々と投げ入れられた。
一年間の無病息災、家内安全、厄除開運等を祈願する一万人の参拝客でにぎわった。

この日にお参りすると、霊佛十一面千手千眼観世音菩薩さまの霊力によって、
一年間健康で小遣い銭に不自由しないといわれている。

  8.厄除け神社

門戸厄神(松泰山 東光寺)    2004年1月記


1月17日、
今年は、家内と娘の厄年とのことで、厄除け祈願に西宮の門戸厄神さんへ出かけた。

東光寺には、弘法大師自ら白壇木に刻まれた厄神明王が祀られているという


1月18.19日は厄除大祭とのことで、参道は露店の準備で大忙しであった。


綾部 厄除神社      2004年2月記


2月18日
今年は家内と娘の厄年とのことで、近く(綾部市)の厄除け神社にお参りした。
厄除神社は、すぐ隣の若宮神社の境内にあり、御祭神は猿田彦神である。

猿田彦神は、天孫瓊々杵尊が高天原から日向の高千穂の峰に
御降臨の際、道案内にたち、種々の厄を払い除き、
尊を安全に日向の国に御導き申し上げたとの古事から、『厄除』の神として尊崇厚い。



厄除神社大祭        2005年2月記


今年は、娘が本厄、家内が後厄である。

2月18日
高良厄除神社(福知山市鋳物師町)で厄除神社大祭があり、お参りし、
この一年の平穏を祈願してきた。

18日の午後からお参りが増えて、18日と19日の2日間で、例年、一万人のお参りがあるという。

  9.由良川リバーウオーク                   2004年3月記


3月13日
京都府NPO由良川流域ネット主催の第3回由良川リバーウオークに参加した。
大江町の由良川で、かっての高瀬船の船付き場跡を見学した。(写真左)

この平穏に見える川の流れも、幾たび、氾濫による洪水被害が出た事か。

この見学のあと、東京工業大学の中村良夫教授の講演『風景としての川』をお聞きした。(写真右)

日本人の心の原点は、川と山であると・・・。
川があっても山がないとダメ、山があっても川がないとダメ。

我田舎には、山も川もある。


  10.桜を訪ねて            

2003年春        2003年7月記

03年4月6日

豊臣秀吉が催した”醍醐の花見”で有名な、
京都伏見の醍醐寺を訪れた。

ちょうど満開の時期と日曜日が重なって、
人、人、人の人見であったが、
さすがに見事な桜であった。
写真の奥は仁王門。

来年は、平日にゆっくり観賞したい。

縁起

貞観年間(859〜877年)に、理源大教聖宝が
醍醐山上に密教の道場を開いたのが始まり。

下醍醐、上醍醐に分かれ総称して
醍醐寺といわれる。

醍醐寺のひとつ三宝院は、応仁の乱で
焼失した後、慶長3(1598)年に
豊臣秀吉によって再建された。


下醍醐には金堂や五重塔が立ち、
山道を登りきった醍醐山上の上醍醐には、
霊泉、醍醐水の湧く清滝宮や、五大堂、開山堂、
国宝の薬師堂等が並ぶ。



桜と親子孫三代
03年4月10日

京都北部にも桜前線がやってきた。
自宅から15分程の福知山城へ花見に行った。


福知山城・福知山市郷土資料館

住所:京都府福知山市字内記5番地
TEL:0773−23−9564
車で:舞鶴若狭道福知山ICから西へ約5km
福知山城が近世的な城郭に築城されたのは、
天正7年(1579年)、
織田信長の命を受けた明智光秀が
丹波を平定したときからに始まる。


堀と土居に囲まれた城下町が
整備されたのは、関ヶ原の戦いの後入部した
有馬豊氏時代と考えられている。

近くに、光秀の非業の最後を慰める、
御霊神社がある。 
明治の廃藩によって取り壊され、
現在の城は昭和61年に復元されたもの。

(福知山城パンフレットから)




七谷川堤の桜       2004年4月記


今年の桜は、3月29〜30日に、一気に咲いたように感じられる。

インターネットで桜の名所を探し、4月1日、亀岡の七谷川沿いの花見に出かけた。

和らぎの道(桜公園)といわれるだけに、七谷川沿い2,000m両岸の1500本といわれる桜は、
丹波地方随一といわれるだけに見事であった。

京都縦貫道千代川ICから15分。


2004年 桜      2004年4月記

京都丹波地方の今年の桜は、3月30日の一晩で一気に咲いたような気がする。
例年より一週間程早かったのではないでしょうか。

桜を求めてあちこち小さな旅をしました。

写真1
写真1
4月1日、亀岡の七谷川沿い。
丹波地方一番といわれるだけに、川と
1,500本の桜の調和はすばらしい。

写真2
4月9日、関西花の寺第13番霊場、
京都の法金剛院。
待賢門院璋子(鳥羽天皇の中宮、12世紀)
が建立したこのお寺の庭園の、
待賢門院桜と呼ばれる枝垂れ桜が優雅。

写真3
4月9日、臨済宗妙心寺派大本山、
妙心寺(京都)内の退蔵院庭園。
室町時代の画聖狩野元信の築園という、
室町時代を代表する枯山水庭園が美しい。

写真4
4月9日、京都仁和寺。
樹高が低く湧き上がる雲のような、
御室桜は名勝に指定されている。
京都で一番遅く咲く桜で、
この日はまだ1〜2分咲きであった。
多くの観光客でにぎわっていた。

写真3
写真2
写真4


2005年 桜      2005年4月記


今年の桜は、昨年より10日ほど遅かった。

写真は舞鶴市国立病院前の桜である。約200mの道路両側の桜は見事であった。

まさに花のトンネルで、散り際は、別名『舞鶴の春の雪』といわれる。

  11.バスツアー

神戸方面    2004年4月記

4月20日、○○倶楽部主催の日帰りバスツアーに参加した。
車窓からの風景は、天気もよく新緑がきれいであった。
確実に季節が変わっていっている。

写真1
写真1
神戸中突堤から明石大橋まで、
クルーズ(1.5時間)したパルデメール号。
この船体はグッドデザイン賞とのこと。684トン。

写真2
パルデメール号から明石海峡大橋をのぞむ。

写真3
新神戸駅から布引ハーブ園までの
新神戸ロープウェー(神戸夢風船)から、
六甲の山並み、神戸市街地そして神戸港を
のぞむ。

写真4
夢風船で空中散歩した後は、
花々の香りを楽しみながらハーブ園の散策。

写真3
写真2
写真4


京都 宇治       2005年4月記



4月19日
昨年の春から恒例となった、
日帰りバスツアーに参加した。
今回は、京都の宇治で、晴天に恵まれ
楽しい旅であった。

左の写真は、黄檗山萬福寺の山門である。

萬福寺は、
江戸時代、中国福建省から渡来した
隠元禅師によって1661年に開創された
寺院で、日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)
のひとつ、黄檗宗の大本山である。


山門を入ると、正面が
寺の玄関としての天王殿である。
天王殿の中央正面で、
下の写真の布袋尊(弥勒菩薩の化身)が
我々を迎えてくれる。

日本では室町時代の初期から、
商売繁盛、家内安全、不老長寿などの
福徳の神として、
恵比寿神、大黒天、毘沙門天、弁財天、
福禄寿、寿老人、布袋尊を七福神と
よんできた。


布袋尊(ほていさま)は福徳円満の神で、
ただ一人実在の人物とのこと。
中国は唐の時代の布袋和尚である。

小柄で大きなおなか、いつも半裸で、
福々しく大きな耳、
世の中の清・濁を合わせのみこんでしまう
度量のおおきい腹。

和尚のように、誰に対するときもにこにこ笑顔
ギクシャクせずにゆったりと、
太っ腹になりたいものです。


天王殿の奥が、萬福寺の本堂
大雄宝殿(だいおうほうでん)である。

中には、本尊の釈迦牟尼佛、
迦葉・阿難の二尊者、十八羅漢像が
安置されており、自由に拝観できる。

歴史のあるお寺を訪れると、
その建物、仏像に
なぜか心が癒される。


魚板で現在の木魚の原形であるという。
口の中の丸いのは、
世の中の煩悩で、今煩悩を
まさに吐き出そうとしているところという。

修業僧たちに、これをたたいて
時を報ずるものとして、
今も使用されているとのこと。

バスツアーの昼食は、
このお寺の精進料理『普茶料理』であった。
開祖、隠元禅師から伝わる
300余年悠久の味との事。