No.37  2004年10月上旬号 (10月7日発行)     写真はクリックで拡大

小さな農業 -稲作の総括-


5月18日に田植し、9月3日に刈り取った米が精算され、販売代金がJAから連絡があった。
一年間の稲作の収支を総括すると、
収支の結果は下の表の通り
52,576円で、この金額が、この1年間の労働費である。

時給1,000円とすれば、52時間分(半農として13日)である。
実労時間はこんなものかも知れないので、トラクターや田植え機等の機械購入費が、
丸々赤字の計算となるようだ。

この程度の米作りでは、趣味の領域との割りきりが必要か。

3月28日
耕運
5月18日
田植
9月3日
刈取り
9月21日
玄米仕上がり

米作り収支表 (単位 円)
収   入 支  出(直接経費のみ)
玄米生産販売代金 327,132 苗代 40,425
 生産の明細
      水田面積      36a
        田の枚数       3枚
        玄米の量    1,404kg
                        
肥料代 36,000
除草剤等 26,300
刈取り代 72,000
ライスセンター代 89,412
水利代 10,419
合計 327,132 合計 274,556
収支(収入−支出) 52,576


新・水滸伝(第一巻)


新・水滸伝(一巻)

吉川英治著

講談社


今、吉川文学に凝っている。前の三国志に続いて、今旬からは水滸伝である。

時は、今から
900年前の、中国は宋朝の時代である。
石窟の中に閉じ込められていた百八ツの魔星が地上に踊り出て、
その一星一星が人間と化して梁山泊をつくり、天下を揺さぶる。
腐敗した世にはとけこめない、奇骨異風さまざまな好漢(おとこ)どもが、
権力に立ち向かう様の描写は、とにもかくにも面白い。

下は第一巻を構成するドラマの章のタイトルである。
此れを見れば、なんとなく、この小説の雰囲気がわかるのではないかと思う。

序曲、百八の星、人間界に宿命すること。
鞠使の幸運は九天に昇り、風流皇帝の徽宗に会うこと。
教頭の王進、追捕をのがれ、母と千里の旅に落ち行く事。
緑林の徒の涙を見て、史進、彼らを再び野へ放つこと。
史進、家郷をすてて渭水に奔り、魯提轄と街に逢うこと。
あしたに唄い女翠蓮を送って、晩霞に魯憲兵も逐電すること。
蘭花の瞼は恩人に合って涙し、五台山の剃刀は魯を坊主とすること。
百花の刺青は、紅の肌に燃え、魯和尚の大酔に一山もゆるぐ事。
花嫁の臍に毛のある桃花の里を立ち、枯林瓦缶寺に九紋龍。
菜園番は愛す、同類の虫ケラを。柳蔭の酒延は呼ぶ禁軍の通り客。
鴛鴦の巣は風騒にやぶられ、濁世の波にも仏心の良吏はある事。
世路は似たり、人生の起伏と。流刑の道にも侠大尽の門もある事。
氷雪の苦役も九死に一生を得、獄関一路、梁山泊へ通じること。
無法者のとりで梁山泊の事。ならびに吹毛剣を巷に売る浪人のこと。
青面獣の楊志、知己にこたえて神技の武を現すこと。
風来の一怪児、東渓村に宿命星の宿業を齎すこと。
寺子屋先生『本日休学』の壁書をして去る事。
呉用先生の智網、金鱗の鯉を漁って元の村へ帰ること。
六星、壇に誓う門外に、また訪れる一星のこと。
仮装の隊商十一梱、青面獣を頭として、北京を出立する事。
七人の棗商人、黄泥岡の一林に何やら笑いさざめく事。
『生辰綱の智恵取り』のこと。並びに、楊志、死の谷を覗く事。
二侠、二龍山下に出会い、その後の花和尚魯智深がこと。
目明し陣、五里夢中のこと。次いで、刑事頭何濤の妻と弟の事。
耳の飾りは義と仁の珠。宋江、友の危機に馬を東渓村へとばす事。

詩吟 編集後記とWhat's New

夏季研修発表会

(写真はプログラム)

9月26日
吟道大雅流頌風館、綾部総支部天田総支部
合同の夏季吟詠研修発表会が
綾部市民センターで開催され、参加した。

44名の吟詠発表と宗家先生の
吟詠指導があった。
私は、44名中もっとも新米である。
『九段の桜』を詠ってきた。

発声の基本は、腹式呼吸にあり、
腹の
横隔膜を締めて発声すること
との指導があった。

まだまだその要領がわからない。


今年の米作りも、新米の出来上がりで
おわった。
この夏の異常な暑さに渇水を心配したが、
田の日焼けもなく、上々であった。
しかし、刈取り時に襲った台風では、
倒伏などの被害が大きかった。
無理やりの刈取りにより、機械の故障も
多かったようである。


先旬号で、
このホームページ開設一周年を機に、
『ほぼ旬刊』から『ほぼ月間』に
しようと書いたが、
思い直して、
もうしばらくは、
『ほぼ旬刊』のまま
続けようと思う。
但し、上旬、下旬の月二回の発行と
しようと思っている。

引き続きご愛読の上
叱咤激励をお願いいたします。



No.38 創刊一周年記念号(2004年10月下旬号 10月20日発行)
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林住期 二年生



我田舎町にも、今年もまた美しいコスモスの季節がめぐってきた。
2003年10月15日に会社を定年退職し、
丁度丸一年が経過した。
この新聞も、発行して一周年を迎える事ができた。
退職後のこの一年は、まさに林住期一年生で半農半Xを試行錯誤の生活であった。

半農
メインは米作りで、農業機械士の免状も取り、米を1,400kgを収穫し、
自家用米を除いて1,100Kgを販売する事ができた。
サブは野菜つくりで、ほうれんそう、ジャガイモ、トマト、きゅーり、えだまめが収穫できた。
(なすは不調、病気なのか発育不全で、一つも食べられなかった)
まず一年生としては良しと評価しよう。

半X
小さな旅として関西花の寺25ケ所のお参りが満願できた。
念願の竹炭も焼けた。
詩吟にも入門し、今のところ続いている。

これからは
林住期二年生である。
更なる充実を目指したい。



新・水滸伝(第二巻)


新・水滸伝(二巻)

吉川英治著

講談社


水滸伝はとにかく面白い。
その面白さを、私のつたない文章力では紹介できないのが残念である。
しいていえば、昔見た映画、
南総里見八犬伝のような面白さである。

例によって、第二巻を構成するドラマの章のタイトルを紹介しよう。
タイトルにもあるように、
やわらかい話も適度に含まれていて楽しい。

秋を歌う湖島の河童に、百舟ことごとく火計に陥つこと。
林冲、王倫を面罵して午餐会に刺し殺すこと。
人の仏心は二婆の慾をよろこばせ、横丁の妾宅は柳に花を咲かせる事。
女には男扱いされぬ君子も、山野の侠児には恋い慕われる事。
悶々と並ぶ二つ枕に、蘭燈の夢は闘って解けやらぬ事。

ふと我に返る生姜湯の灯も、せつな我を失う寝刃の闇のこと。
地下室の窮鳥に、再生の銅鈴が友情を告げて鳴ること。
宋江、小旋風の門を叩くこと。ならびに瘧病みの男と会うこと。
景陽岡の虎、武松を英雄の輿に祭り上げること。
似ない弟に、また不似合いな兄と嫂の事。ならびに武松、宿替えすること。

隣りで売る和合湯の魂胆に、簾もうごくけしの花の性の事。
色事五ツ種の仕立て方のこと。金蓮、良人の目を縫うこと。
梨売りの兵隊の子、大人の秘戯を往来に撒き散らすこと。
姦夫の足業は武大を悶絶させ、妖婦は砒霜の毒を秘めてそら泣きになくこと。
死者に口無く、官に正道なく、非恨の武松は訴える途なき事。

武松、亡兄の恨みを祭って、西門慶の店に男を訪う事。
獅子橋畔に好色男は身の果てを砕き、強欲の婆は地獄行きの木馬にのること。
牢城の管営父子、武松を獄の賓客としてあがめる事。
蒋門神を四ツ這にさせて、武松、大杯の名月を飲みほす事。
城鼓の乱打は枯葉を巻き、武行者は七尺の身を天蓋へ托し行くこと。

緑林の徒も真人は喰わぬ事。ならびに、危かった女轎のこと。
花灯籠に魔女の眼はかがやき、又も君子宋江に女難あること。
待ち伏せる眼と眼と眼の事。次いで死林にかかる檻車のこと。
秦明の仙人掌棒も用をなさぬ事。ならびに町々三無用の事。
弓の花栄、雁を射て、梁山泊に名を取ること。

非心、長江の刑旅につけば、鬼の端公も気のいい忠僕に変わること。
死は醒めてこの世の街に、大道芸人を見て、銭をめぐむ事。
葦は葦の仲間を呼び、揚子江の『三覇』一荘に会すること。
根は、みな『やくざ』も仏心の子か。黒旋風の李逵お目見えのこと。

小さな農業 ラジコン

菜園

我菜園の現状を報告する

左の畝が白菜とキャベツ
右が大根とヤーコン。


6月に植えたヤーコンが
大きくなった。
12月には
なしのような味
芋が食べられる。
抜群の健康食品とのこと。


9月14日に植えた白菜が
想像以上に大きく
育っている。
結球の気配はまだなし。


9月14日に植えたキャベツは
青虫の大好物らしい。
結球の気配はまだない。

10月1日種まきの大根。
種蒔きが
遅すぎたかもしれない。



R/Cプレーン一号機


昔、
子供の頃
リモコン操縦の飛行機を飛ばすのが
夢であった。
夢はかなわず、ゴム巻き飛行機を飛ばして
よく遊んだものである。

定年になったらこの夢をかなえようと
数年前にこの模型飛行機を買っていたが
仕舞い込んでいて、すっかり忘れていた。

ふと思い出して組み立ててみた。
R/Cプレーンもこれからの
半Xに加えよう。

<R/C一号機のデータ>
全長:657mm
全幅:860mm
全備重量:約200g
プロペラ:250mm
モータ:6V110mAhバッテリー駆動
R/C装備:1chラダー
飛行時間:約2分

詩吟 編集後記とWhat's New

絶句

次に教えていただく吟題は、
中国は唐の時代の
杜甫(712〜770年)作『絶句』である。


 江碧鳥逾白 江みどりにして 鳥いよいよ白く
 山青花欲然   山青うして 花燃えんと欲す
今春看又過      
今春みすみす、又過ぐ
何日是帰年 何れの日か、是れ帰年ならん

杜甫がこの詩を作ったのは、
戦乱のため 都を遠く離れて、蜀にいた時である。
故郷を遠くはなれた地で、
いつ帰れるあても ない、
やり切れなさをうたったものである。

<通釈>
錦江の水は深い緑色に澄み、
そこに遊ぶ水鳥はますます白く見える。
山の木は緑に映え、花は燃え出さん
ばかりに真っ赤である。
今年の春も見る見る内に過ぎ去って
しまおうとしている。
いったい何時になったら故郷に帰れる
時がやって来るのであろうか。



定年退職し一年が経過し、この新聞も
第38号を発行することとなった。
これもひとえに読者の方からの
叱咤激励の賜物と感謝している。
引き続き愛読をお願いいたします。
何でも
掲示板に書き込みください。

これからは少しペースを落として
2回/月の発行とします。
その分、『ほぼ日刊 K'Chan Blog』の
充実をはかりたいと思っている。


R/C(ラジコン)を飛ばす場合、
飛ばす場所の確保が問題となるが、
幸い、これからは、稲刈り後の田んぼが
その飛行場に利用できる。
田んぼに稲の無い、これからの秋から
春まで遊べるとおもう。


我が家の、完全無農薬野菜は
青虫の餌食になっている。
この青虫は、葉の裏に生みつけられた
卵から発生しているらしい。
青虫とりが毎日の日課である。


それにしても今年は台風が多い。
これを書いている今日も、
台風23号が向かってきつつある。
災害の無い事を祈る。