No.131 2008年9月上旬号 (9月15日発行) 写真はクリックで拡大 | |||||
RC ヘリ 講座 (18) テールローター シングルローター式ヘリは、メインローターが右回転(機体の上から見て)した場合、 機体はその反動で左回転しようとする。 この回転を止めるのがテールローターの回転によって発生させる推力である。 ラジコンヘリのテールローターの駆動は、メインローターを回転させるメインモーターの回転を、 ベルトによってテールローターシャフトに伝達する方式(写真左、キャリバー400)と、 メインモータとは別に設けられたテールモーターによって、駆動される(写真右、SRB QUARK) 方式がある。 前者は比較的大型ヘリに適用され、後者は室内用ヘリ等の小型ヘリに適用されている。 前者はメインモーターの回転をギアーによって減速してテールローター回転させ、 後者はメインモーターの回転数に対応して制御装置で制御された回転数で テールローターを回転させている。 メインモーターと云い、テールモータといい、最近の小型モーターの技術はすばらしい。 次回に続く。 |
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本(半X) |
編集後記とWhat's New | ||||
翔ぶが如く(5)
日本国内の三百万士族を中心とする 征韓論の熱を冷ます事を目的に 台湾へ出兵した軍隊は、 マラリア熱にかかるなど散々であった。 各国列強の外交団や 当の清国政府からのすさましい抗議にあって 三千余の兵は退きも進みもできない 状況となった。 この状況の打開に、明治七年八月六日、 全権弁理大臣大久保利通が 清国に出発した。 50日に及ぶ談判も、 第7回談判において決裂し、 大久保らが台湾を引揚げようとする 直前に、大久保のねばりによって 解決することとなり調印をおこなった。 西郷従道に率いられた出兵兵の死者は 戦死者12名に対し 病死者561名であったという。 大久保は11月27日、横浜に入港した。 |
小学校区運動会 9月14日 この地域の小学校区の運動会であった。 全校生徒数が90数名になっていて かっての賑わいはなくなっている。 今年の新入生は13名、 複式学級になるのも時間の問題という。 子供は、大勢の中で生活するのが やっぱりいいのではないかと思う。 近隣の学校との統合も早まるだろう。 写真上は全校生による入場行進、 写真下は、1〜3年生による 集団演技である。良く頑張っている。 |
No.132 2008年9月下旬号 (9月30日発行) 写真はクリックで拡大 | |||||
R/C ヘリ(4) EPキャリバー400 連載中の 『RCヘリ講座』 をちょっと中断し、ラジコンヘリEPキャリーバーについて紹介する。 思えば、ラジコンヘリへの入門は、ヒロボー製のXRB−SRシャトルであった。 XRBはラジコンヘリ入門用機種として、風の影響を受けない室内での飛行を目的に、 設計されたもので、少しなれれば容易に飛ばすことができる。 姿勢の安定性にすぐれ、2〜3ケ月の練習で、6畳の部屋で飛ばすことができた。 次のステップとして選択したのが、取扱が簡便な電動400クラス屋外用ヘリである。 上の写真の下段は、いずれも京商製EP(電動)キャリバー400シリーズで、 左がシュワイザー300C、中がXP型ARF、右がARF機である。 構造に若干の違いがあるものの、基本設計はほとんど同じである。 写真上段は、3つの機体に共通で使用しているプロポで、 フタバ製 6チャンネル仕様の6EXHPで、周波数は40.830MHzである。 機体のテクニカルデータは下記である。 全長:605mm 全幅:122mm 全高:219mm 全備重量:約800g ギアレシオ:9.8:1:4.8 メインローター径 655mm バッテリー:12V1100mAHr(ニッケル水素) 又は11.1V2000mAHr(リチュームポリマー) 連続20C放電可能 モーター:AF400BLS C/13/28 ブラシレス アンプ:スカイビクトリーBLS25(連続通電 25A) ジャイロ:フタバGY240 受信機:フタバ R146IP 今年の1月23日に1号機(シュワイザー300C)を入手以来、現在までの8ケ月間に、3機で フライト回数357回(1フライト5〜10分)、内ハードランデイング(墜落ともいう)40回である。 上空で自由に飛ばすのにはまだまだ修行が必要である。 7、8月ごろは機体の調子もよかったが、ここのところ調子が今ひとつである。 オーバーホールが必要な時期になっているのかも知れない。 |
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本(半X) |
編集後記とWhat's New | ||||
翔ぶが如く(6)
明治新政府によって明治2年に版籍奉還 『旧藩主・大名が版(土地)や籍(人民)を 天皇に返上』、明治4年には廃藩置県等の 大胆な改革が行われた。 当時、東京医学校の教授として 招聘されたドイツ人ベルツは、 彼の日記の中で、 『日本はこの間まで、ヨーロッパの 中世騎士時代だったのが、500年の時間を 飛び越えて19世紀の全成果を即座に、 しかも一時に我が物としようとしている』と 記しているという。 これらのすさましい改革によって、 旧藩主や士族の特権が失われたため、 彼等の不満が地方に充満している。 参議前原一誠は萩に戻って 乱を計画し、 熊本では林桜園の影響を受けた 神風連が熊本鎮台を襲撃する。 いずれの乱の首謀者達も、薩摩の西郷が 早く立ってくれる事をひそかに願っている。 |
今年の運動会 その2 9月27日 京都の孫娘の運動会を見に行ってきた。 生徒数1000人ぐらいの小学校だろうか、 さすがににぎやかな運動会であった。 写真上が、孫娘(2年生)の ボール運び競争である。 元気に成長している様子がうれしい。 写真下は、6年生の組体操である。 さすがに6年生で、良く練習をしていて 見ごたえのある演技であった。 昔は組体操といえば男の専売であったが、 最近は女の子も堂々と 男の肩の上に立っていた。 |